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組曲Ⅳ~冬の日のおとぎ話13

 そうして終わりのない、まるで深夜に入院病棟の回廊をゆっくりと巡り続けているかのような生活が始まった。二つの病気を経て、命というものの軽さを、頼りなさを知ってしまった私の、すべてを諦め、すべてを失くした末に始まった新しい生活は、でも、どこか心地の良いものだった。足が地につかない、まるでふわふわと宙を歩き続けているかのような感覚。そうさ、私はようやく自由を手に入れたんだ。何事にも拘らない暮らしの中で、視覚も、聴覚も、味覚も、うん、あらゆる感覚は薄まってゆき、静謐なセピア色の世界へと日々手繰り寄せられていった。空間を漂い続けているだけのような生活。その気になれば水に潜るように、どこまでも自由というものの中に潜り込んでゆけるような気がした。やがて自由を求めるその事に歯止めが効かなくなった私は、次第に生死の境からも自由になり始めていた。そんな時だった。私の目の前にアマンダが現れたのは。淡いセピア色の世界に、ぽつりと一つだけ輝く深紅の花のようにアマンダは存在した。

 年齢も、性別も、名前すらも失くしかけている私は、時折、風が吹くようにふわりと生死の境を越えた。朝も昼も夜も関係なく。朝陽が差し込む寝室で鳥の声にまどろんでいると、または午後の穏やかな日差しに包まれながら縁側でうたた寝をしていると、あるいはひんやりとした夜の闇に包まれたまま静かに身を横たえていると、そう、いつの間にか死んでいた。私が眠っているのか、それとも死んでいるのか、アマンダはそれを目聡く見分ける事ができた。

「アナタ、今、チョット死ンデイタヨ」

 そうして私が死んでいた時間が三分だったの、五分だったのといちいち教えてくれるのだが、死んで時間の外に出掛けていた私に、自分が死んでいた時間を感じる由もなかった。

 

 もちろん夢など見ない。何一つ聴こえてくる音などないし、鼻を擽る匂いもない。それが死だ。ふと死から醒める。その時はあらゆる感覚が唐突に戻って来たという感じだ。私はスイッチを入れられた電気製品のように死から醒めた。

「マタ死ンデタヨ・・・」

 アマンダは寂し気に言う。

「何ダカ、最近、死ヌ事が増エタネ・・・」

 そう呟きながら、添い寝するように私の隣に横たわり、死から醒めたばかりの私の冷たい指先を弄んだ。アマンダの手の中で、私の皮膚の表面が乾いた土のようにぽろぽろと崩れた。ああ、最近は一度死ぬと、体の表面が少しずつ削れてくるんだ。

 アマンダの半分開かれた口から、摩り下ろした玉葱のような口臭が漂ってきた。アマンダの脇のあたりから、股間から、獣のような臭いが立ち昇ってくる。アマンダは今、欲情しているんだ。日本人の私にはいささか強すぎるが、それはきっとアマンダが生まれ育った御国の男たちをどこまでも魅了するのだろう、そんな性の匂いをアマンダは部屋中に振り撒く。アマンダは、私が一旦死んで、また生き返ってくると何故か欲情するらしかった。アマンダのラピスラズリのように綺麗な瞳からは、近々訪れるであろう、もう二度と生き返る事のない完全な死を待つだけの私の存在を悲しむ涙がぽろぽろと転がり落ち、口からは欲情の塊が、喘ぎを伴って次々と湧き上がってくるのだった。

 アマンダは私が死から戻って来るたびに、すっかり痩せ細った私の体に、その豊満な肉体を擦り合わせ、子供が絵本をせがむように、今しがた行ってきたばかりの死の世界で見てきた事を話させたがるのだった。しかし残念ながら、私はアマンダを喜ばせるような景色を見てきた訳じゃない。子供たちが泣きながら石を積み上げている河原で、真っ白い髪をおどろに振り乱した脱衣婆から着ているものを剥ぎ取られた訳でもないし、川の向こう岸で、ずっと以前に死んだ祖父母が笑いながら手招きをしている訳でもなかった。ああ、そんな法螺話を口から流れ出すままに滔々と話し続けられるような才覚がこの私にあればどんなに良かっただろうか。ともかく私が行ってきたその世界、そこには一筋の光すら差さない空洞があるだけだった。いや、その空洞を知覚する自分すら存在しなかった。

 アマンダがいやいやをする子供のように、私の下腹部に自分の腰を擦りつけてくる。その幼い仕草が、まるでこの世に私を繋ぎとめておくための儀式だとでも思っているかのように。私は自分自身ですら黙って見つめていると、その不気味さに怖気がくるほどに節くれ立ち、ぐにゃぐにゃに曲がったその指でアマンダの豊満な乳房をまさぐり、さらにその指をアマゾンの湿地のような下腹部に這わせ続けた。

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