当たり前を当たり前と思わないのが当たり前
今日は冷凍餃子を焼いて、「元餃子の王将の料理人が作るチャーハン」(Youtubeで見つけた私の得意レシピの一つ)を夕飯に作りました。
子どもの日記か(笑)
買い物行って、一人で作って、一人で食べて
「あぁ・・・幸せ」と淋しく呟いて、流しに食べ終わった食器と油まみれのフライパン2つなどをドカッと置く。
で、note見て回ったり、メルカリに出品したり、ブログの記事を書こうとしたり(どうも筆が進まない)、ネトフリで「イノセンス」のお気に入りシーンだけ見て「犬、苦手だけどやっぱりいずれ飼いたいわ。バトーかっこえぇ」とのんびり休日の夜を満喫し・・・、
「洗い物してなかった」と10分ほどまえに思いだしたわけです。
「そろそろ洗剤買っておかないと。詰め替え用はどこで売ってたかしら」
などとすっかり奥様思考でスポンジに洗剤を垂らしキュッキュッと洗っている途中で、
「世の中の皆様方は、洗い物めんどくせぇとか考えずに、当たり前のようにチャッチャッときっちりやっているんだろうな」
と「当たり前」行動を頭に思い浮かべました。
が、最近noteで「自分を大切にしよう」とか「メンヘラ彼氏の特徴」(これはここでは関係ないか)とか、そういう記事ばかり好んで読んでたり、「小さな成功体験、小さな成功体験」と呪文のようにつぶやくのが最近のトレンドな私は、
「ちゃんと今日の内に洗い物終えてえらい」
などと、自分を褒めてみたんです。
ところがもう長年どっぷり染み付いている自分の思考ってやつは、そう簡単には(note見始めて一週間くらいだし)こそげ落ちないんですね。なんか違和感があるのです。
「甘えてんじゃないよ、みんな当たり前にやってるじゃないか」
ついついそう考えてしまうんです。
たまたま「皿洗い」なんて超日常的な話題から入ってしまいましたが、いろんなシーンでそう思いがちなんですよ。
みんなが当たり前に出来ていることが出来ない自分。
それを恥ずかしいと思う自分。
なんでできないんだろうとダメ人間なレッテルを自分に貼る。
追い打ちをかけるように別れたばかりの元カノが手が荒れやすかったから、洗い物は全部俺がやりますよ、なんて言っていたことなんか思いだしたりして(笑)
それが功を奏したのか、なんだか反抗心が芽生えまして、
「正当な理由がないのに,食べ終わった食器若しくは使い終わった調理器具を放置し、又は当たり前と感じていたにもかかわらずこれらの物を放置した者は、2年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。」
なんて法律あります?えっ?どうなの?
と一人で怒り出し、とうとう真理にたどり着いたのでした。
それは、
「当たり前っていうのは、人それぞれの基準であって、誰でも彼でもそこに当てはまるものではない!」
と言うことです!!
あれ?これってもしかしてデフォルトです?いやいやそれでも構わん。
私は今日、さきほど、それに気づいたのだから。
これこそ小さな成功体験なのだ、きっと、たぶん。
ここで言う「当たり前」はあくまでも「自分の中で自分が感じる自分に対する自分の行動の当たり前」のことであって、世の中の道徳人道正統的俯瞰見解ではないことはお断りしておきますよ。
あれができない、これができない、みんなが当たり前に出来ていること、当たり前のように簡単にやっていること、が出来なかったとしても、まったくもって問題ない。
そして、もしそれをやってのけたなら、自分はとてもかっこいいし、自信を持っていいことだし、小さなことでも(皿洗いとかさ)やったならそれはもう立派な成功体験、小さな目標、自己肯定といいこと尽くしじゃないでしょうか。
いかんいかん、寝る準備をしないと。明日は仕事だ。
ではおやすみなさい。今日は気分よく寝られそうだぞ。ふっ。