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友と呼ばれた冬~第38話
「この事を話すのはフェアじゃない気がするが、あなたは信用できそうだ。どうだ?みさき」
『みさき』と呼ばれた女性が、本から顔を上げて成田を睨んだ。
「真山さんに失礼よ、成田さん」
成田は珍しそうな顔をして美咲を見ながら訳知り顔で頷いた。
「おまえが初見でこれを出すのは珍しいからな」
俺はなんのことだかさっぱりわからず成田を見た。
「美咲は幼い頃からこの店でたくさんの客と出会ってきたからか、勘が鋭いところがある。その客がどういう本性の人物なのかわかってしまうと言うんだ」
「本性って言うのはアバウトですね」
「そうだな。人の傷みを知る人物かどうか。美咲は人の善悪はそこで決まると考えているようだ。あの子は信用のおけない人物には決して出さないんだ、そのメニューにはないブレンドを」
依頼人の傷みに共感ではなく、共鳴してしまった過去の苦い経験から、俺は意識して壁を作るようになっていた。
バランスが取れない俺はそうすることでしか、正気を保てなかったのだ。
『人の傷みを知る』
言葉をほとんど交わすことなく、美咲に核心をえぐり取られたような感覚になったが、不思議と恐れはなかった。
成田に対して構えていた気持ちが薄れるのを感じていた。
成田にも同じ珈琲が出されているとうことは、この男も人の傷みを知る側と言うことか。
無条件に美咲の判断を信じている自分がおかしかった。
「あぁ、お腹空いた」
美咲がそう言って成田を睨みながらカウンターの中に入った。
「俺はあれでいいぞ、ほら、あの」
ブレッドナイフを右手に持ち、美咲は凄みのある顔で成田を睨んだあと、笑いながらBGMのボリュームを上げた。
ビル・エヴァンスのSome Day My Prince Will Comeが流れてきた。
「王子様にしては歳食ってるな」
「お互い様じゃないですか」
俺と成田は顔を見合わせて笑った。
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美咲の作ってくれたクラブハウスサンドを食べながら、成田が切り出した。
「千葉はライドシェアに賛成だろ?あの男がライドシェア推進派に個人献金をしている噂を聞いたことがある」
俺は新宿営業所の労使会議で所長の千葉が頑なにライドシェアに賛成していることで、営業所の方針がまとまらないと言う話をした。
「そうだろうな」
「千葉はあなたのことを知っていたんですね」
「そのようだ。どうも偶然が重なりすぎている」
「ライドシェアの話ですか?」
「それもあるが。あの店にはあの夜初めて行ったんだが、接待だったとは言え、彩乃という女が不自然なほどに接近してきた」
彩乃。
あのプリウスに乗り込んだ女のことだろう。
「あなたの映像に映っている女性ですね?」
「そうだ。あいつはあんな目に遭ってからも、頻繁に連絡を寄越してきた。ただ、彩乃と会ったのは3回だけだ。それが全て映像に残っているのがあまりにも不自然だ」
成田はやはり頭のキレる男だった。
「成田さん、そのことなんですが」
俺は彩乃が近くの店に逃げたのではなく、襲ってきた男たちのプリウスに乗っていたことを話した。
驚いたことに成田は楽しそうに笑いだした。
「そうか、やられたか。俺の勘もまだ完全に鈍っていないようだ」
「クリスマスの京王プラザホテルからの乗車は予約だったみたいですが、成田さんが予約したんですか?」
「いや、私は自分でタクシーを予約したことはない。彩名の手配だろう」
俺は、他の映像の件も含めて「浮気をネタにした脅迫」の可能性を示唆した。
どの女たちも新宿営業所の車両を確認してからタクシーを止めて乗り込んでいること、車内でのやり取り、そして最後の映像で男の自宅が判明していること。
「手が込んでいるな。だが私は言ったように浮気はしていない。それに千葉は金を強請るようなタイプには思えない。どちらかと言うとあの男は地位に固執しているようだ。あの日、電話口で私にはっきりとこう言った。『女性問題は保守派に取って少なからずダメージがあるんじゃないですか?』とな」
クレームの映像は成田と千葉が話す前に終わっていた。やはりあの日、千葉と成田は電話で話していた。映像の続きはあったのだ。
「成田さん、私が見た映像ではあなたが大野から電話を奪って捲し立てているところで終わっていました。クレームの映像にしては不自然な終わりかたのように感じました」
「電話を奪ったとは人聞きが悪いな」
成田はそう言ったあと話し始めた。
「名前は忘れてしまったが電話対応していた者が『上の者からすぐにかけ直す』と言うからそのまま車で待機した。シャツのボタンも飛んでしまって、服もひどいことになってたからな。すぐに千葉から折り返しがかかってきた。私は少し冷静になってきて、自分の落ち度や、暴力はドライバーには関係ないと思うようになっていた。申し訳なさそうにしている大野に絆されたのかも知れん。話しはついた。大野に家まで送ってもらった、もちろん金は払った。千葉にはドライバーが悪くないことを話して、最低限の処罰で収めてあげてくれと頼んだ」
予想外だった。千葉の大野に対する軽い処置は成田の意を汲んだものだったのか。
「大野は軽い処罰で済んだのだろ?」
「はい。顛末書の提出だけで終わったようです」
「そこの約束は守ったってことか。いや、そこで恩を売ったつもりかもしれんな」
「千葉から何か要求があったんですか?」
「あからさまではないが、本社勤務に戻れないか働きかけて欲しいような話を何度かしてきた。電話で半ば脅しのようなことを言ってくるようじゃ、あの男の器も知れている。そもそも役人がタクシー会社の人事に口を出せるわけがないだろうに」
千葉が本社に返り咲きを狙っていると梅島が話していたことを思いだした。あの男なら汚い手を使ってでもくだらない地位に固執しそうだ。
だがこの話で全てなら、なぜ映像が途切れていたのだろうか。
クレームの映像として保管するなら、成田と話がついてきちんと家まで送り届けた記録を残しておく方が会社にとってはプラスに思えた。
「それだけですか?」
「それだけだが?」
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成田がワイシャツの胸ポケットから煙草を取り出した。
テーブルに灰皿は置いてなかったが禁煙ではないようだ。
カウンターの中から美咲がすぐに灰皿を持ってきてくれた。ステンドグラスから入る陽光が真鍮の灰皿を照らし、錨のオブジェが鈍く光った。
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