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友と呼ばれた冬~第29話
休憩を終え、旧甲州街道を新宿駅方面へ向かって走り始めた。新宿2丁目の仲通りが珍しく空いているのを見て、俺は右折して入って行った。
普段なら俺がこの一方通行に入ることはまずない。常に渋滞していて動かないからだ。その渋滞は路地から出てくる客を狙って堂々と停車するタクシーが原因だ。
一般車両が遅い時間にここを通ることはほとんどなく、迷惑を被るのは同業者だけだ。俺はそういう流し方が苦手だった。
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仲通りに入るとすぐに手を挙げそうな客が立っているのを見つけた。スピードを落とし客の目を見ながら近づいて行ったが、俺と目が合った客は首を軽く振って顔を背けた。
なんだったのだ?と通り過ぎた後にフェンダーミラーで見ていると、俺の後ろについていた空車のタクシーに手を挙げて乗り込んだ。
新宿2丁目の客はタクシードライバーの顔を見て、好みの顔ではないと乗ってこないという話をふと思い出した。
先ほどの客は俺の顔が好みではなかったらしい。客がタクシーを選ぶこともあるのだ。
相性の悪い2丁目はそのまま通過して、しばらくの間、歌舞伎町を流したがなかなか客は乗せられなかった。千葉と成田のことで集中できていないようでは無理も無い。俺は事故を起こす前に仕事を早めに切り上げた。
洗車をする気力もなく、会社に戻る途中の昭和通沿いにあるタクシー専門の洗車屋に立ち寄った。まだ未明の4時前だというのにすでに三台のタクシーが並んでいた。
タクシードライバーは毎回帰庫後に自分で洗車をする。同じ車両に乗る次のドライバーに気持ちよく乗ってもらうために、車内までくまなく掃除をする。しっかりと洗車をするなら30分は必要だ。
一度洗車屋を利用した者はその手軽さから利用し続けるようになる。毎回1000円ほどの洗車代を払い、時間や洗車の手間を買うのだ。
この時間に仕事を切り上げているのは、充分稼いだ者か俺のようにやる気がない者かのどちらかだった。
売り上げの悪い俺には痛い出費で、毎回利用することは無かったが今日のように洗車をやる気力が無い日はたまに利用していた。車を預けると顔なじみの店員が声をかけてきた。
「珍しいですね、今日はまた一段と早いじゃないですか」
「がっつり稼いだからな」
「へぇ~、じゃあ今日は倍の料金でお願いしますね」
まだ20代の若い店員が笑いながらも手は動かし続けていた。
俺はタバコを吸いながら3人掛かりで自分の車両が洗われていく様子を見ていた。
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彼らはそれぞれの人生を背負っていた。
赤い髪の若者はギターの弦を弾く指先で洗車ブラシを操り、リズミカルに車体を磨いていた。バンドマンを目指す彼の目は音楽を語る時と変わらずに夢と情熱に満ちていた。
子どもを養うために夜な夜な洗車場で働く男は、手際よく車を仕上げていた。彼の顔には疲労と責任感が刻まれていたが、時折家族の話をしてくれるその顔には家族への愛が輝いていた。
寡黙ながらも丁寧に仕事をこなす男。彼は汚れがちな車内の窓ガラスを丁寧に磨き上げ、車内の隅々まで手をかけて塵一つない状態にしてくれる。彼の仕事ぶりは、静かな誇りさえ感じさせた。
探偵としての成功を手にできなかった俺は孤独を抱えながらも、こうして僅かなひと時に他人と関わることで孤独を和らげているのかもしれない。
ライブハウスの町田が見抜いた通り、俺は少しだけ変わったのだろうか。
ものの5分とかからず洗車が完了した。素晴らしい仕上がりだ。
「「ありがとうございました」」
全員できちんと道路に出るまで誘導し安全を確認してくれた。
ルームミラーに頭を下げている3人の姿が映っていた。
まだ夜が明けきらない東京の空の下、洗車場の灯りに照らされたそこだけが明るく光っていた。
帰庫した俺は納金作業をしながら車庫に停めた自分の車を眺めていた。相方が来るのは6時間後だ。自分の車のSDカードから映像を抜くには充分な時間がある。だがいくら考えてもあのUSBメモリにあったように、違うドライバー達の映像を集めることは事実上不可能だ。
一度全て回収して保管すればゆっくりと映像を見て、目当ての客を見つけ出すことは不可能ではない。だが新宿営業所には50台ほどの車両がある。全てが稼働していないにしても、30、40台の車両のSDカードを全て入れ替える時間はなく、そんな行動をしていたら確実に誰かの目に留まる。
いったいどうやったら特定の客が乗った時の映像を、複数のドライバーの記録の中から集めることが出来るのだろうか?
納金を終えた俺は制服のまま始発電車に乗った。この時間に下り電車に乗る者は、夜通し遊んで始発を待っていた酔っぱらいしかいなかった。普段なら疎ましく思ったが今日は何も感じなかった。目的があるということは素晴らしいことだ。
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