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友と呼ばれた冬~第37話

「この前の男とは、そのことだったんですね」
「あぁ、そうだ。これを見てくれ」

 成田の着信履歴を見ると、12日の20時04分に確かに大野の携帯電話からの着信があった。

「番号は間違いないか?」
「はい、大野の番号です。どんな内容だったんですか?」

「背後が騒がしくて聞き取りづらかった。私が何度も聞き直すと興奮気味に『改めて日時は連絡するから金はきちんと用意しておけ』と、怒鳴ってきた」

「大野と名乗ったんですか?」
「あぁ。私が『クレームのドライバーと書いてあったが誰だ?』とかまをかけると、『忘れたのか!歌舞伎町であんたを乗せた大野だ』と怒鳴り返してきた」


 12日は新宿駅で千尋が尾行された日だ。あの日、千尋の動きをGPSで追うには大野の携帯電話が必要だった。郷田が大野の携帯電話を使って千尋の位置を把握していた。
 その大野の携帯電話から成田に電話があった。
 郷田が大野の携帯電話を持っていることが確定したことになる。同時に脅迫犯は郷田だと確定した。

「そいつは郷田という男で、大野と同じ営業所のドライバーです。去年のクリスマスにあなたをご自宅まで送ったドライバーですよ。脅迫状の最後の画像の日です」
「これか。その日のことは覚えているが、ドライバーの顔までは覚えてないな」

 タクシー運転手は、以前乗せたことのある客をわりと覚えている。それは同じ盛り場から乗って同じ経路で家に帰るパターンが多いということもあるが、客の話し方やその日の気分の様子など細かい所を常に気にかけながら接客を強いられるせいで、観察力が鋭くなっているからだ。   
 客にとっては都内に何万台と走っているタクシーの一台に過ぎず、運転手の顔などいちいち覚えてはいない。大野の名前はあれだけのクレームになれば覚えているだろうが、ただ自宅に送っただけのドライバーの顔は覚えていないのも当然だった。

「なぜ、その郷田?と言う男が大野の携帯電話を使えるんだ?」

 俺は千尋の行動がGPSで見られていた可能性を話し、それには親である大野の携帯電話が必要になることを説明した。
 千尋を尾行しようとした郷田に気づき、郷田に逃げられたことも成田に話した。時間的にも、あの場から逃げた郷田が電話をかけたと思われたからだ。

 電話で大野と名乗り、脅迫状で安易に大野を匂わせる。自己顕示欲の顕れなのだろうか?
 被害妄想の者にはそういう気がある。匿名や偽名を使って自分だけが知っていることや情報を小出しに見せつけてくる。

「郷田は映像を利用して私を脅迫した。その映像をどういう手段かはわからないが大野が入手した。郷田は脅迫の切り札を失ったことになるんだな」

 郷田が成田に『改めて日時を連絡する』と言ったのであれば、俺が持っているUSBメモリを取り返す算段がついたのか、あるいはただのブラフか。 

 成田は浮気をしていないと言っていた。確かに成田の映像は、あの女と不貞行為があった証拠としては成り立たなかった。他の映像のようにラブホテルで降車したり、車内での男女のやり取りは映っていなかったからだ。

「成田さん、あなたが浮気をしていないのであればこんな脅迫に金を払うことはないんじゃないですか?」
「気になったのはライドシェアのことが書かれていたからだ」
「ライドシェア?あなたの立場とありましたがそのことなんですか?」

「タクシードライバーならライドシェアの話しは聞いたことがあるだろ?私はもちろん反対派だ。保守派とも呼ばれている。今じゃ保守派の先鋒なんて言わている。おたくの労働組合の定期大会に呼ばれたこともあるが知らないか?」
「すいません。組合活動にはあまり参加してないんです」

「そういうタイプじゃなさそうだな。ライドシェアはタクシー業界にとって転機となるのは間違いない。が、まだ早急だ。うちも情けないことにまとまらない」

 ライドシェア。今日この言葉を聞くのは2度目だった。千葉が頑なに反対していると梅島が言っていたあれだ。
 俺達タクシードライバーが厳しい二種免許を取得してようやく職にありつけたことが、一般車両でも出来るようになる。
 タクシードライバーなら誰しもその不公平さに単純に疑問を抱くだろう。


 タクシー業界の旧態依然とした体質は否めない。だがこの数年、業界もイメージの一新に努力を重ねてきた。
 新卒者や女性ドライバーを積極的に採用したり、マナー教育やユーザー目線のアプリ、サービスに取り組んだりしている。

 しかしドライバーは所詮、出庫をしたら一匹狼だ。体力を削り歩合の金を稼ぐ。業界全体のイメージは現場にはさほど影響はないと俺は考えていた。
 離職率の高い職業。車を遊ばせていては金にならない。会社は常に人材不足に追われている。
 業界のイメージアップはドライバーの確保のためであって、現場で働く俺たちにはなんの恩恵もない。

「ライドシェアはこれだけ騒がれれば私の耳にも入ってきます。ですが、与野党のくだらないメンツや、利益を狙うIT業界まで急に声をあげてきているのが気に入りません。タクシードライバー達を蚊帳の外にした盛り上がりにしか見えません」

 成田は一瞬口元を緩ませたが、真剣な口調で続けた。

「進めるにしても現役のタクシードライバー達の仕事を奪うようなことだけはあってはいかん」

 その目は真剣に見えた。
  
「あんな誤解を招く映像が出回ってしまうと、私が浮気をしていないと言ったところで反対勢力は格好のネタだと喜ぶだろう。私一人のことなら構わないが、こんなくだらないことで保守派の気勢が削がれるのは避けなければいけない」
「そこまでお分かりなのに、不用心過ぎましたね」
「返す言葉もない」

 この男の本音はわからない。だが少なくてもタクシー会社の所長でありながらドライバーを蔑視し、ライドシェアに賛成の立場を示す千葉よりもドライバー達に目を向けているように見えた。


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