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友と呼ばれた冬~第47話
パソコンを回収した郷田が二人の元へ駆け寄って合流した。
くそっ、郷田め。知っていたんだな。
郷田はパソコンを誇らしげに梅島の横に立つ男に渡そうとしたが、平手で殴られて頬を抑えた。
「なっ?タケダ!?」
「名前を出すんじゃねぇ!簡単に娘を返しやがって!」
怯えた千尋が俺の後ろに隠れる。
千尋だけでも逃がす。俺は覚悟を決めた。
郷田とタケダが揉めている隙に、胸ポケットから煙草のパッケージに隠したUSBメモリを右手で取り出した。
右手を背中に回すと千尋がそれを受け取った。
「走れるか?」
俺は小声で背後に立つ千尋に聞いた。
「うん」
千尋が震える声で返事をした。
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「大野は無事に助け出した。必ず会える。それは大事なものだ。大野に渡してくれ。後ろの道路に黒い大きな車が見えるな?俺が合図したらあの車に向かって思いっきり走れ。鍵は俺がここから開けるから中に乗り込むんだ。わかったな?」
「真山さんは?」
「俺もすぐに行く。いいな、また足の速いところを見せてくれ」
千尋は俺の上着の裾を二度引っ張って返事をした。
「何をコソコソしてやがる!」
郷田はまだパソコンを持ったままだ。
「どういうことだ?郷田!梅島さんに何をしたんだ。タケダまで連れてきやがって」
名前は覚えたぞ、と俺はタケダにわからせた。
「のこのこと店に来たから色々と聞かせてもらっただけだよ、真山さん」
タケダがやり返す。駆引きのわかる男だった。怯んだら敗ける。
俺は顔を腫れ上がらせた梅島を見た。相当ひどくやられていたがしっかりと俺を見返している。梅島は何も話していない。そう確信した。
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「タケダさん、約束通りパソコンは返した、もう用はないだろ」
「こっちも娘は返したよな?梅島を返すには別の対価が要るだろ?」
梅島が頻りに俺に合図を送っていた。
やる気なんだな、あのおっさんは。
俺は笑いながら言った。
「そうか。だったら好きにしろ。俺と千尋は帰らせてもらう」
「あんた、容赦ねぇな」
タケダは笑うと、威圧するように俺に向かって歩き出した。
梅島が動いた。
後ろからタケダの腰にしがみつく。
「千尋、走れ!」
俺の合図で千尋が走り出した。俺は千葉の車に向かって解錠ボタンを押した。反応しない。距離が遠すぎるのか?
千尋を追うように走り、解錠ボタンを押し続けた。
ハザードランプが点滅し、緊張感の無い解錠音が大きく鳴り響いた。
ルームランプが点灯する。
千尋が車にたどり着き、素早く助手席から中に乗り込んだ。
俺はすぐに施錠ボタンを押した。ハザードランプと音が千尋の安全を約束した。
後ろを振り返ると、郷田が飛びかかって来た。
俺の右手から鍵を奪おうとする郷田の腕を噛みきった。
肉片が口の中で転がり郷田が叫ぶ。
倒れこんだ俺の腹が執拗に蹴られ、肉片が吐瀉物と一緒に出ていく。
俺は鍵を握り締めた右手を左脇の下に入れて体を丸めた。もう抵抗する力は残っていなかった。
鍵さえ渡さなければ何とかなる――そう思いながらただ右手を固く握り締めていた。
重たい足音が聞こえたかと思うと、白目を向いた郷田の顔が俺の目の前に倒れ込んできた。
「タケダァァ!」
空気が震えるほどの怒鳴り声が公園の静寂に響き渡った。
霞む視界の中に不自然な格好で倒れているタケダと、大柄な男に背負われた梅島の姿が見えた気がした。
右手の中の鍵の感触を確認すると、俺はブラックアウトした。
目が覚めると消毒薬の臭いが鼻についた。瞼を通して淡い光が目を刺してくる。
俺は横たわっているのか。
そう気づくのにも時間がかかった。目覚ましが鳴るまで寝よう。
寝返りを打とうとして体中に激痛が走り、俺は目を開けた。
「あっ、気がついた!真山さん!」
千尋が目に涙をためながら覗き込んでいた。横に大野が立っていた。少し痩せこけて見えたが、しっかりと自分の足で立っているところを見て安心した。
そうか、終わったんだな。うまくいったんだ。
「大野、良かった」
「真山さん……」
大野が深々と頭を下げた。涙が何粒も床に落ちていくのが見えた。
「親子揃って泣くんじゃないよ」
俺は身体を起こそうとしたが、全身の油が切れてしまったかのように動けなかった。
「真山さん!」
病室の入り口で美咲が花瓶を持って立っていた。ベッド脇のテーブルの上に花瓶を置くと、美咲は顔を覆って泣き出した。
「大野のこと、ありがとうございました」
「千尋ちゃんを助けてくれると信じてました」
美咲が嗚咽しながらそう言うと、千尋が美咲に駆け寄って背中を優しく擦った。
どっちが子どもなのかわからない。
右手に違和感があった。引き攣るような感覚がある。
「車のキーが掌に食い込んで刺さってたの。何針も縫ったのよ」
美咲はそう言うとまた泣き出した。
「あぁ・・・、う、うん」
窓の方から咳払いが聞こえた。目を動かすと成田が立って、にやついていた。
「成田さん。ありがとうございました」
「礼なら二日間付きっきりだった美咲にしっかり言っておけ」
美咲が顔を赤らめて成田を睨みつける。俺は二日も起きなかったのか。
成田の顔が少し腫れているように見える。
「どうしたんです?その顔」
「これか?これは……あれだ……」
「奥さんにお灸を据えられたのよ」
「おい、美咲!」
美咲がさっきのお返しだと言わんばかりにやり返す。
「それじゃあ――」
「あぁ、もう女遊びはやめだ。女房に涙を流しながらビンタされたよ」
「よかったですね、成田さん」
「まぁ良かったのかな」
照れたように頭を掻く成田を大野が笑いながら見ていた。成田は大野に謝罪したんだろう。二人の間にわだかまりはないように見えた。
「そうだ。梅島さんはどうした?」
大野が答えた。
「梅島さんは臨時所長として今日から出勤しています。真山さんが起きたら、万年寝不足のタクシードライバーだからっていつまでも寝てるんじゃないぞ、と伝えてくれと」
「タフな人だ。まだ怪我も治っていないだろ?」
「はい、壮絶な顔でした。あれじゃ恐ろしくてしばらく誰も近寄れません。身体の方は大した怪我はなかったようです」
「そうか、良かった。それにしても梅島さんも、とうとう所長か。似合わないな」
「ほんとに似合いませんね。特に今の顔では」
「待てよ。梅島さんが臨時所長と言うことは」
「はい。千葉と郷田、タケダの三人は恐喝と拉致監禁の容疑で逮捕されました。真山さんのボイスレコーダーと、あの映像記録が証拠になったんです」
「会社はよく警察を介入させたな」
「梅島さんが本社とやり合いました。同じ過ちを繰り返さないためにも、隠蔽するより全員で共有してやり直すべきだ、と」
「そうか。さすが俺たちの教官だ」
「今の顔じゃ、鬼所長ですけどね」
「臨時のな」
俺と大野が笑っていると成田が真面目な顔をして話し始めた。
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