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友と呼ばれた冬~第26話
「もう一つ大野に取っては不運な事が重なった」
梅島が言いにくそうに付け足した。
「その頃、所内で夏風邪が流行っていて俺も事務員もかかってしまった。当直の者から事情を聞いて大野のクレームの対応をしたのは所長なんだ。あの人は出世街道から外れてうちに飛ばされたんだが返り咲きを狙っている」
「本社に漏れたら終わり、と言うことですか」
「あぁ、相手の条件を全て飲んで内密に処理をしたらしい。実はこの件を調べるのに時間がかかったのは通常のクレームとは違う場所に保管されていたからだ」
「結局、客を殴った男たちは見つかってないんですよね?」
「記録には何も書かれていない。会社から金が出て相手はそれで収めたようだ。所長としてもわざわざ事を大きくしたくないからそのままにしたんだろう」
「全て所長の一存――。」
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「そういうことだ」
「大野は結局顛末書だけで済んだのですか?」
「出勤停止にもなっていない。大事だった割には最も軽い処分だ」
「それを決めたのも所長ですか?」
「記録ではそうなっている。調べていて思い出したんだが、俺はこの件についてほとんど聞いていなかった。通常は客のクレームは課長が担当するんだが夏風邪で一週間ほど休んでいる間に片付けられた。出社してから、休んでいる間のクレームの報告としてまとめて事務員から報告を受けたが、全て顛末書の軽い案件だったから細かく見なかった。すまん」
あの千葉の性格を考えると大野へのペナルティは軽すぎるように思えた。なにかが不自然だ。千葉が絡んでいると分かった以上、慎重になる必要があった。
この件に梅島を巻き込み過ぎている。だがここから先は梅島の協力が無ければ進まないことがわかっていた。梅島の真意を聞き出す必要があった。
「梅島さん、俺は」
俺は言葉を探した。
「なんだ?水臭いな。言ってみろ」
「梅島さんの会社での立場を悪くしてしまうかもしれません。だから」
「真山」
「はい」
「この仕事が好きか?」
唐突な問いだった。俺は正直な気持ちを伝えた。
「好きとは言えないです」
「タクシー会社で働いていてそう言ってのけるお前が何を遠慮することがある」
梅島は笑いながら言った。
「所長を敵に回すことになります」
「俺は一度たりともあの人の下で働いていると思ったことはない」
即答が返ってきた。この気の良い上司に危ない橋を渡らせようとしていた。
「クビになったらかみさんと二人で居酒屋でも始めるさ。そうすりゃ毎日タダ酒を飲める」
俺の心を見透かしているかのように梅島が言った。
「引き返せませんよ」
「構わん」
俺は汚い男だ。言い出せば梅島は必ず協力してくれると分かっていた。結局俺は誰かの助けを借りないと何一つまともにできない。
俺は梅島にこれまで話さなかったことも含めて全てを話した。大野のアパートが監視されていたかもしれないこと、鍵を開けられたこと、千尋の尾行、そして――、
「大野の娘を尾行し、俺の呼吸を一瞬止めた男は俺の顔を見て驚きました。俺の顔を知っているようでした」
「何者なんだ?そいつは」
俺はUSBメモリには他にも映像記録が保管されていることを話した。
「大野のトラブルの客をクリスマスに家まで送っている映像記録のドライバーはその男です」
「見間違えじゃないのか?」
「間違いないと思います。あの男は右の踵だけすり減った革靴を履いていました」
全てのタクシーがオートマに変わった今、アクセルとブレーキは右足だけで操作する者がほとんどだ。その操作だけで革靴の踵はすり減っていく。タクシー運転手の靴にみられる特徴だ。
「いったいどうなっているんだ?そもそもなんで大野はそいつの車内映像を持っているんだ?」
梅島は相当困惑しているようだった。
「真山、乗務員台帳を見ればそいつを特定できるな?」
「できますが台帳を社外に持ち出すのは難しいでしょう。もっと簡単な方法があります。梅島さん、携帯電話のメールを見ることはできますか?」
「人を年寄り扱いしやがって。娘からしっかり教わったから大丈夫だ」
「今から男の顔を送ります。他の映像にあったドライバーたちの顔も念のため送ります」
メールを送ったがぶつぶつと呟やく声と操作音が聞こえてくるだけだ。
「開けましたか?」
「ちょっと待ってくれ」
暫くして梅島は言った。画像を開けたようだ。
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「こいつは郷田だ。間違いない、うちの乗務員だ。待ってくれ、郷田だけじゃない。こいつら全員、新宿営業所のドライバーじゃないか」
大きな事故があった時などに事故対策として事故時の映像記録を全営業所に回して見ることがある。だが事故でもクレームでもない映像記録が出回ることはない。
USBメモリに保管してあった複数の映像を他の営業所から入手するとなると、各営業所の車両から映像を抜き出すことになる。俺の会社は大手4社と言われているうちの一つで、すべての営業所を合わせると約1万台の車両を保有している。その中から特定の客の特定の映像を抜き出すのは現実的ではない。
映像に映っていたドライバーたちは大野と同じ新宿営業所の乗務員にほぼ間違いないだろうと俺は予想していたが、梅島の面割によって裏付けがされた。
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