友と呼ばれた冬~第35話
「うちの営業所のタクシーを選んで乗っていたのか」
「ドライバーまでは選べなくても、この方法なら特定の会社の特定の営業所のタクシーに乗車することは可能です」
営業所から近いエリアで仕事をするドライバーは多い。出庫してすぐに稼ぎ場所に到着でき、帰庫時間ギリギリまで粘れるからだ。
歌舞伎町や西新宿エリアで充分稼げるのに、わざわざ銀座や六本木に時間をかけていく必要はない。
新宿営業所からなら歌舞伎町まで15分程で到着する。歌舞伎町に新宿営業所の車両が多くなるのも当然のことだった。
女たちが新宿営業所のタクシーを選んで乗っている理由は一つしか考えられなかった。
『新宿営業所のタクシーの映像記録』に記録される必要があったからだ。
他の営業所や他の会社のタクシーの車内カメラの映像を入手することはほぼ不可能だ。
だが同じ営業所内であれば入手は物理的にはそれほど難しくない。
問題は、どの日にどの客が乗ったのか。ドライバー以外にはわからないと言うことだ。やはり今回の映像記録の抜き出しにはドライバーが関係しているのだろうか?
いや、それなら全てのドライバーが別人であると言うのも解せない。まだ明らかになっていない何かが必ずある。
「所長はまだはっきりしないが、郷田がこの件に関わっていることは確実だよな?真山」
「そうですね。実際に姿を見せて絡んできたのは郷田だけです」
「あいつは会社をしばらく休むと連絡を入れてきたようだ」
「気になりますね。郷田の行動が」
「郷田と一緒に居るところを良く見かける乗務員たちに郷田のことを聞いてみたんだ。あいつには少し・・・・・・あぁ、何ていうんだ?神経質?被害妄想か。そんなところがあるらしい」
「どんなことを言ってましたか?」
「売り上げが悪かった日は、誰かが俺のタクシーに客を寄り付かせないように邪魔をしている、周りのタクシーが無線で自分の客を奪うように指示を出しあっている、だったかな。俺には売り上げが出来なかった苦し紛れの言い訳にしか聞こえないが」
俺の腕に鳥肌が立った。記憶が恐怖を呼び起こしていた。
俺の人生が転がり落ちるきっかけを作った男。
俺が探偵を廃業するきっかけになった男。
奴はそう、被害妄想だった。
郷田の言動は、典型的な被害妄想の言動に聞こえた。周囲の人間が自分に対して陰謀を巡らせている、全ての周りの行動が自分を攻撃しているかのように感じてしまう。
突然、雷鳴が聞こえてきた。いつの間にか黒い雲が空を覆っていた。
時計を見ると約束の時間が迫っていた。
梅島の話に集中することで俺は沸いてきた恐怖を追い払った。
「あぁ、あとな。そいつらの話によると郷田は酒好きで、歌舞伎町で良く飲み歩いているらしい。だがあいつの売り上げを見たが平均以下だった。独身みたいだがそれでも飲み歩くほどの稼ぎはないように見える」
俺は立ち上がって歩きながら会話を続けた。
「あいつが仕事が出来るようには見えませんが、特定の店に通っている話は出なかったんですか?」
「すまん、横文字だったのは覚えているんだが」
横文字の名前の店。気が遠くなりそうなほどありそうだ。だが梅島が動いてくれていることが心強かった。
「思いだしたら教えてください。調べてみましょう。そろそろ時間です。成田に会ってきます」
「お前も何かわかったら知らせてくれ」
俺は赤レンガ倉庫を後にした。
約束の5分前に到着したが、店のドアには相変わらず「CLOSE」の札がかけられていた。
俺が立ちすくんでいると、ベルが心地よい音を響かせステンドグラスが装飾されたドアが開いて女性が顔を出した。
「真山さん?」
「はい」
「成田さんから電話がありました。どうぞ」
俺は女性に続いて店内に入った。酸味の強そうな珈琲の香りと静かなジャズボーカルに迎え入れられた。漆喰の壁には横浜港の古いモノクロ写真がいくつも飾られ、円錐型の真鍮の照明が完璧な調和で当たっていた。
テーブル席が2つとカウンターに山吹色の椅子が3脚置いてあるだけの小さな店だった。調度品はどれも年季が入っているが清潔だった。こんな状況で来たのでなければゆっくりと落ち着いて過ごすことが出来ただろう。
「急に降ってきましたね、良かったらどうぞ」
「すいません、お借りします」
清潔なタオルを俺に渡すと女性はカウンターの中に戻った。
不思議な魅力を持つ女性だった。オーナーだろうか?他に店員は居ない。清潔そうなダンガリーシャツの上にクリーム色のニットカーディガンを羽織っている。
折り返された袖口から覗く腕と黒色のスキニーパンツを履きこなす足は細く筋肉質で程よく鍛えられていた。
一見格調高く見える店内を、そのカジュアルな服装が和らげて居心地の良い空間の要素になっていた。
ここで成田と話す内容は重い。俺は気が滅入り成田の策にはまってしまったような気がし始めていた。
店の奥のテーブルに座ると注文もしていないのに珈琲が出された。
海の底のような青黒い光沢のある変わったカップだった。
「休み時間だから私と同じものでいいかしら?味は保証するわ」
「休み時間だったんですね、申し訳ない」
「申し訳ないって言うより、この時間に休むのか?って顔をしているわよ」
楽しそうに目元を細めて言う。余りペースを乱される前に成田が来てくれないだろうか?そう考えている時点で分が悪くなっているのがわかる。
珈琲は店内に漂っている香りの物だった。強い酸味と苦みがバランスよく濃厚な味だった。旨い。
俺の顔を見て満足そうな笑みを浮かべた女性はカウンターの椅子に座り、読みかけだった本を手に取った。
ロバート・B・パーカーの「初秋」
いい趣味だ。
俺はボイスレコーダーを取り出して録音ボタンを押し、テーブルに立てかけられたメニューの後ろに隠して成田を待った。
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