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いざトルストイも歩いたコーカサス山脈へ!雄大な軍用道路とカズベキの山々に感動!

アルメニア滞在を終えトビリシに戻ってきた私は1日の休息の後、いよいよこの旅の最大の目的地コーカサス山脈へと出発した。

ジョージア北部にあるコーカサス山脈。この山を堪能するにはステパンツミンダ、通称カズベキという町が拠点になる。

首都トビリシからはおよそ3時間半の道のりだ。

高速道路でひたすら北上。そしてある地点からは軍用道路という道を行くことになる。

ここでその軍用道路について少しお話ししたい。

軍用道路 Wikipediaより

ジョージア軍用道路は、1799年に帝政ロシア軍が古来の街道を軍用車用に整備した道路で、大コーカサス山脈を越えてロシアのウラジカフカス(「コーカサスを征服せよ」という意味)とトビリシの約200kmを結んでいる。ときに貿易の道として、またときに侵略者の道として、地域の歴史に重要な役割を果たしてきた。同時に風光明媚なことでも知られ、プーシキンやレールモントフといったロシアの詩人たちを魅了してきた。

そんな軍用道路も、今はすっかり観光道路となって世界各国の観光客を魅了している。カズべギまで全行程が舗装され、道中も快適だ。途中のグダウリや終点のカズベギにはホテルやゲストハウスも多く、泊まりがけで行ってもいいだろう。

ちなみにカズべギの町の名は、近年革命前の「ステパンツミンダ」に戻されたが、いまだにカズベキと呼ばれるほうが一般的なので、ここでもそのようにする。

ダイヤモンド・ビッグ社『地球の歩き方A31 ロシア ウクライナ ベラルーシ コーカサスの国々 2018~2019年版』P422

なんと、トルストイやプーシキンが歩いた行程が今や人気の観光名所となっているのだ!コーカサス山脈を見たい私にとってもこれはありがたいことである。

トルストイが訪れた1850年代にはすでにロシアとカフカース(コーカサス山脈一体の地域)は戦争状態だった。そしてその時から続く歴史は現代のチェチェン戦争とも繋がってくる。ロシア帝国、ソ連、現代ロシアという歴史の流れを知る上でもカフカースの歴史を知ることは大きな意味がある。(※この記事では細かいところまでは立ち入らないが、以下の記事で詳しく解説しているので興味のある方はぜひご参照いただきたい)

トビリシから走り始めて1時間ほどでアナヌリという場所に到着する。


ここは美しき湖で有名でカズベキに向かう観光バスのほとんどがここに立ち寄る。

湖のほとりに立つ教会も素晴らしい。

曇天ではあったが湖面に映る木々の緑が美しかった。

ここから先はいよいよ景色も変わってくる。

これまでも山の中を走っていたのだが、そのスケールが急に大きくなり始めた。

自分が走っている道の目の前から山肌が一気に急上昇し、壁となって立ちはだかってくるかのよう。

木々がない分そのごつごつした無骨さを感じる。景色が強い。

そして間もなく到着したのがロシア・グルジア友好記念碑というモニュメントだ。

これは1983年にソ連がジョージアとの友好200年を記念して建造したモニュメント。

軍用道路はカフカース、ジョージア全体を征服するために作られた道路だ。しかも当時のソ連とジョージアの関係は対等な友好と言えるようなものだったろうか。ジョージア征服の象徴たる軍用道路にあえて「友好記念碑」を建てる。こうした感覚がそもそもソ連的な発想なのかもしれない。

何はともあれ、現在はこうして観光地として利用されている。

それにしてもとんでもない所に建てられている。

高所恐怖症の私にとっては冷や冷やものである。

ここまで来るといよいよ自分がカフカースに来たのだという気持ちが強くなってくる。

トルストイはこういうところを歩いていたのだ。

そしてこれからいよいよコーカサス山脈の拠点カズベキへ向かう。

山と山のちょうど谷間になっている場所に道路が通されている。

おぉ~!これはまさしく写真で見た景色と一緒ではないだろうか!

山と山の狭間にできたこの空間。山越えをするならここしかないという絶妙なルートだったのだろう。

それにしてもすべてがでかい!

そう感じられるのも山そのものだけではなくこの道路から両側へ広がる平らな地面があるからこそだろう。これは珍しい光景だ。

正面にコーカサス山脈の名峰カズベキ山が見えてきた。赤い山肌に雪化粧をしているその姿から、カズベキの花嫁としてこの山は親しまれているそう。

さあいよいよコーカサス山脈の拠点カズベキに近づいてきた。

この町の正式名称はステパンツミンダというのだが、旧名のカズベキという名称の方が今でも親しまれているそうなので私もこれからカズベキと呼ぶことにする。

そしてコーカサス山脈もトルストイがかつて訪れた時の名称、カフカースとこれからは呼んでいきたい。

カズベキの町に到着。正面のまさに壁のような山の麓にこの町は広がっている。現在ここはジョージアの山岳リゾートの中心で、コロナ前は多くの人で賑わっていたそうだ。

町の中心部にはちょっとしたコンビニのような店や飲食店もあり、滞在には不便しなさそうだ。

そしてこの町からは目の前にカズベキ山を眺めることができる。何て素晴らしい立地だろう。私の滞在中は運よく天候に恵まれ、毎日この美しき名峰を楽しむことができた。雲がかかったらかかったでそれも味があっていいのだがやはりその姿を見たいのが人情である。ここまで毎日この山を見れるのは珍しいことだったらしい。カズベキ山は恥ずかしがりやでよく顔を隠すんですとガイドは笑っていた。

そして右の写真の左上に注目してほしい。山の上にぽつんと建物が立っているのが見えるだろうか。

この建物こそ「限りなく天国に近い教会」として有名なツミンダ・サメバ教会なのだ。

私が次に向かうのはまさにそこ。

この麓の町からあの山の上を上ろうというのである。実にシンプルこの上ない。お遍路的感覚だ。「水曜どうでしょう」ファンならばきっとくすっとされるに違いない。

次の記事ではそのツミンダ・サメバ教会を紹介していく。


この記事は以前当ブログで公開した以下の記事を再構成したものになります。

上でもお話ししましたように、この元記事ではカフカースとトルストイ、ロシアとの歴史についてもお話ししています。興味のある方はぜひご参照ください。

以上、「いざトルストイも歩いたコーカサス山脈へ!雄大な軍用道路とカズベキの山々に感動!」でした。

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