トビリシからジョージアの古都ムツヘタへ~「聖母子像」ならぬ「聖父子像」のフレスコ画がある教会へ
2022年8月、私は首都トビリシからジョージアの古都ムツヘタに立ち寄った。
まず私が訪れたのは小高い山のてっぺんに立つジュヴァリ聖堂。山の上にぽつんと立つその姿に四国のお遍路を連想してしまった。
この教会がなぜ山の上にぽつんと立っているかというと、ジョージアではかつて教会が要塞の役割を果たしていたからなのである。戦が起きると住民たちは山の上にある教会に避難し、守りを固めていたそうだ。だからこそ守りやすい見晴らしのいい山の上に教会が建てられ、城壁のような壁が周囲に残っているのだ。
もちろん山の上にぽつんと教会があるのはそれだけではない。下界は人々が暮らす俗なる世界。そこから離れて祈りに専念するために山の上にぽつんと教会を建てたのである。
実用的な要塞としての教会と、宗教的な祈りの場としての教会。ジョージアの教会はこの二つの大きな理由からこのように山の上に教会を建てたのであった。
内部は巨大な岩によって壁や柱が作られていた。そのためどっしりとした重厚感を感じる。
そしてトビリシでも感じたように、やはり何か精神的な空気を感じる。祈りの場という雰囲気が強い。自分が宗教的な空間、聖なる空間にいるというのが直感的にわかる。
ジョージア・・・ここは何かが違う。来て数日で私はこの国の魅力に惹かれ始めたのであった。
また、この教会からはジョージア観光のハイライトの一つとして知られる景観を眺めることができる。川が交差し、ジョージアの美しい山々を堪能できるスポットだ。
そしてここでガイドからある興味深い話を聞くことになった。
ジョージアは元々女神信仰が強い地域だったそう。そしてそこに一世紀に初期キリスト教徒が布教にやってきた。しかしキリスト教は父なる神の宗教であるため、ジョージアの人々に受け入れられることはなかった。
だが4世紀に来た聖ニノという女性がこの地を訪れると事態は一変する。
聖ニノは父なる神ではなく、聖母マリアの教えを説いた。そして世を救う光としてのイエスを説いた。この聖母子による救いの教えが女神信仰と合致しジョージアの人々に受け入れられたとされている。もちろん、聖ニノがこの地で布教した際、雷や病気快癒、日食などの奇跡が起こったことも彼女の教えが広まる大きな要因であっただろう。
だが土着の宗教とキリスト教がいかに結びつくかという例としてこれは非常に興味深いものであると言える。これは日本の観音信仰などともつながるかもしれない。いずれ私も調べてみたいと思う。
そしてムツヘタではもうひとつ興味深い教会がある。
ここはスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂という、トビリシのシオニ大聖堂ができるまではジョージアで最大の教会だった建物。
ジョージア正教の教会建築においても独特な建築様式で建てられており、内部にはさらに珍しいフレスコ画が遺されている。
なんとここには「聖母子像」ならぬ、「聖父子像」のフレスコ画が描かれているのである。
これは珍しい。私も初めて見た。ジョージア正教の中でもこれは珍しく、やはり古都ムツヘタは初期キリスト教と土着の宗教とが入り混じった独特な感覚というものがあるのだろうか。これはいいものを見た。
首都トビリシからこのムツヘタへは車で30分ほどで着く距離ということでここはとてもアクセスがよい。ぜひトビリシと合わせてこの美しき教会や興味深いフレスコ画と対面してみてはいかがだろうか。
今回の記事は以前当ブログで公開した以下の記事を再構成したものになります。
この記事ではムツヘタの体験と合わせてソ連のスターリンの生まれ故郷ゴリの町についても紹介しています。ぜひ合わせてご覧頂けましたら幸いです。
以上、「トビリシからジョージアの古都ムツヘタへ~「聖母子像」ならぬ「聖父子像」のフレスコ画がある教会へ」でした。
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