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ノアの方舟の聖地アララト山を一望できるおすすめスポット!ホルウィラップ修道院を訪ねて

アルメニア滞在3日目はあのノアの方舟が漂着したとされる、『旧約聖書』の聖地アララト山に向かう。

『方舟を出た後のノアによる感謝の祈り』(1901年までの間に制作、ドメニコ・モレッリ)Wikipediaより

私は前日夕方にアルメニアの首都エレバンに到着した。

エレバンからアララト山方面を眺める

天気がよければエレバン市内からもアララト山が見えるそうだ。

Wikipediaより

残念ながら私の滞在中はもやがかかっていてその姿を見ることができなかったが、天気がいいとこのようにはっきりとアララト山が見えるそうだ。

この地図を見て気づいた方もおられるかもしれないが、実はアララト山はトルコ領にある。かつてはアルメニア王国の領土であったのだが現在はトルコの領土になっている。

アルメニア人にとってのアララト山は日本で言うならば富士山のようなものだとガイドは言っていた。心のふるさとであるアララト山が自分たちの領土ではなくなってしまったことに今もアルメニア人は複雑な思いを抱いているとのこと。たしかに、目の前に見えるのに自由に行くことができないというのはあまりに残酷な現実だ。

このことを聞いて私はイスラエルにおけるパレスチナ問題を思い出した。2019年に私はベツレヘムを訪れたのだが、そこではイスラエルによって分離壁が作られパレスチナ人がそこに閉じ込められていたのである。

ベツレヘムの丘からはイスラム教の聖地岩のドームが見えた。だがパレスチナ人はそこには行けない。その悔しさ、無念を現地ガイドは語っていた。

もちろん、アルメニア・トルコ両国間の問題を簡単にベツレヘムに当てはめて考えることはできない。そこにはまた違った事情があるはずだ。だが、このアララト山の話を聞いて、聖地を目の前にしながら行くことができないという問題を私は感じることになった。

さて、エレバンを出て郊外を走るとすぐにアララト山が姿を現した。思っていたよりも近い!そしてたしかに富士山を連想させるような姿だ。

これから向かうのはホルウィラップ修道院という教会。ここがアララト山を見るのにベストスポットなのだそう。

例のごとく山の上にぽつんと立つ修道院。駐車場からは歩いて上っていかなければならない。

この聖堂の作りはジョージア正教の建築とも似ているように思う。

カトリックやプロテスタント、ロシア正教とも違うある種無骨な雰囲気が感じられるのが興味深い。

右側が大アララト、左側が小アララトと呼ばれている。9月上旬だというのに大アララトの頂上は雪が積もっていた。これほどの高さなら洪水でも無事だっただろう。

ちなみに写真手前のフェンスが国境線だそうだ。まさかこんな近くに国境線があるとは思いも寄らなかった。

修道院からアララトを眺めた私は車に乗り込み、有名な撮影スポットまで移動した。

独特な雰囲気があるホルウィラップ修道院越しに見るアララト山のなんと美しいことか!

アララト山をモチーフにした神話は紀元前3000年ほど前のシュメール文明にまで遡る。そしてそこで語られた洪水伝説が『旧約聖書』のノアの洪水に大きな影響を与えた。

このことについては「(22)ノアの箱舟の聖地アララト山と時が止まったかのような修道院目指して隣国アルメニアへ」の記事でお話ししたのでそちらを参照して頂きたいが、5000年以上も前からこの山は人々の畏敬の対象だったのだ。そう考えると歴史の壮大さを感じる。5000年以上前の人々も今の私と同じようにこの山に圧倒されていたのだ。そして神聖な何かを感じていたのだ。この山が今もなお聖地として人々に崇められている理由が分かる気がした。


今回の記事は以前当ブログで公開した以下の記事を再構成したものになります。

この元記事ではこのアララト山だけではなく、エレバン近くにあるエチミアジン大聖堂についてもお話ししています。そこは世界最古の大聖堂として知られる世界遺産で、あの有名な「ロンギヌスの槍」とされる聖遺物が展示されています。ぜひこちらの元記事も参照頂けましたら幸いでございます。

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