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ジョージアの秘境ジュタバレーは信じられないほどの美しさだった~カフカース滞在で最も印象に残った地
カフカース滞在もいよいよ最終盤。
この日の目的地はジュタバレーという、カフカースにおいても特に素晴らしい景色を楽しめることで有名な秘境だ。
もはや毎度お馴染みになってしまったが今日もものすごい道を走る。
カズベキからジュタバレーへ向かう
— 上田隆弘@函館錦識寺 (@kinsyokuzi) October 6, 2022
相変わらず今にも落っこちそうな道を行く
実際、がけ崩れの危険が高まっているそうで現地でも問題になっているらしい。#ジョージア pic.twitter.com/h7TyAlMuap
相変わらず今にも落っこちそうな道を行く。
実際、がけ崩れの危険が高まっているそうで現地でも問題になっているらしい。(※2022年9月当時)
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ジュタバレー麓のジュタ村に到着。
ここで車から降りる。ここからは馬だ。
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この少年が馬を引き、我々を先導してくれる。後ほど私はこの少年に度肝を抜かれることになる。
さあ、馬に乗って出発だ。
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ジュタバレー麓のジュタ村から馬に乗りました。最初の急坂が危険とのことで馬を引いてもらったのですが、この少年には後で驚かされることになります。彼と出会ったのがこの旅の中で一番の衝撃だったと言えるかもしれません。#ジョージア pic.twitter.com/6v1ybrvmOz
— 上田隆弘@函館錦識寺 (@kinsyokuzi) October 7, 2022
村からいきなりかなり急勾配の坂を上っていく。足場も悪く馬もよたよたしてしまうほど。若干不安。この後どうなることやら・・・
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第一の坂を上りきると、いきなりジュタバレーが姿を現した。
正面のぎざぎざの山はチャウヘビ山というジュタバレーのシンボル的存在だ。
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いやぁ参った・・・もはや言葉にできない。
何もかもがどうでもよくなるくらい圧倒的な景色。
自分が呑み込まれるような感覚。自然とそんな言葉が浮かんだ。
分析し、理解しようとする試みを一切無意味にするかのよう。
ただただぼーっと眺めるしかない。そんな感覚だった。
今からここを歩くというのだ。しかも馬に乗って。
思えば私は2019年に世界一周の旅に出た時もその最後にキューバの大自然の中で乗馬をしている。(「牛車と乗馬体験とツアーの裏側―ガイドさんの語るキューバの現状 キューバ編⑮」参照)
何だろう。特に狙ってやっているわけではないのだがなぜかこうなってしまうのである。不思議なものだ。旅の終わりに馬に乗りたくなるらしい。
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歩き始めてすぐ、先導の少年が仲間の馬が逃げてしまったので捕まえに行かなければならないとどこかに行ってしまった。仕方ないのでガイドと二人でスタートすることに。まぁ、ジョージアをずっと案内してくれた彼女は乗馬経験も豊富だということで私は全幅の信頼を寄せている。少年がいなくともなんとかなるだろう。
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視線を右に向ければ反り立つ壁のような山肌が迫ってくる。ジュタバレーは全体が緑に覆われていて美しい。
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そうこうしている内に少年が戻ってきた。思っていたより早い。
そして私は思わず彼を二度見してしまった!
なんと彼は鞍も鐙もなく馬に乗っていたのである!後ろから馬が走ってくる音が聞こえてくるなと思ったら彼だった。鞍も鐙もないのに颯爽と彼はやって来たのだ。
信じられない・・・
ともかく私たちは元の3人体制に戻りトレッキングを再開したのである。
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ものすごい景色だ・・・
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きっとトルストイもカフカースのどこかでこうした景色を目にしたのだろう。
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それにしても鞍も鐙もないのに馬を操るこの少年には驚くしかない。
ジョージア北部のジュタバレー。
— 上田隆弘@函館錦識寺 (@kinsyokuzi) October 9, 2022
この景色には笑うしかありませんでした pic.twitter.com/KwZtZ6fvdf
なんと案内役のこの少年は鞍も鐙もなし!しかも乗ってるのは若い暴れ馬だそうでとてもじゃないがお客さんは乗せられないとのこと
— 上田隆弘@函館錦識寺 (@kinsyokuzi) October 10, 2022
トルストイが出会った山の民はきっとこういう人達だったのではないかと私は心底感動しました。過酷な世界に生きる素朴な力強さに衝撃を受けました#ジョージア #ジュタ pic.twitter.com/VAWvB1oPHc
もしかすると、彼と出会えたことがこの旅で最も印象に残ったことかもしれない。彼は現地で馬の世話をしながらこうしてここを訪れる観光客の先導も務めている。なんと彼はまだ10歳。その年にして立派に仕事をこなし、その立ち振る舞いはまるで大人顔負けだった。
そんな彼の後ろを付いていきながらこの素晴らしい景色を眺めていたのだが、彼への敬意の念が自然と浮かんできた。彼が私を導いて「come」と言った時の声が忘れられない。10歳の少年が言っているとは思えないほどの力強さ、大人っぽさだった。彼を見ていると、自分の非力さを否が応でも感じざるをえなかった。こんな大自然で便利な道具もなく私は生きていけるだろうか。いや、絶対に無理だ・・・!
きっとトルストイもこうしたことに何度も出会ったのではないだろうか。
これほど厳しい山の世界で生きる人々。
モスクワやペテルブルクの貴族の中で生きてきたトルストイにとって、彼らの存在は衝撃だったと思う。
ロシア軍は当時、自らを文明人と自認し、近代的な装備でここにやって来た。だがトルストイが目にしたのは、昔ながらのあり方ながらも見事としか言いようのない現地の人たちだったのではないだろうか。
ロシアは自分たちを文明であると誇り、カフカースの人たちを侮蔑した。しかしここに生きる人たちがなんと力強く生きていることか。トルストイはそのことに感動し、敬意を持ったのではないだろうか。
この少年と出会えたことは私に大きな印象を残している。
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トルストイはこんな所を歩いていたのだ・・・!トルストイの巨大な精神がまるでここに現われているみたいだ・・・!そしてそう思った瞬間、ふとドストエフスキーのことが頭をよぎった。なぜか猛烈に『死の家の記録』を読みたくなったのだ。
トルストイがカフカースの圧倒的な雄大さ、広大さの中で人間とは何か、自由とは何かを体感したのに対し、ドストエフスキーは「無限に開けたシベリアの大地」を鉄格子や監獄の中から見ていたのでは?と感じたのだ。
トルストイにとってのカフカース体験に対応するものとしてドストエフスキーのシベリア体験があるのではないか、そう考えると『死の家の記録』がどれだけ大切な作品なのかということをこの瞬間痛烈に感じたのだった。
やはり現地に行って色んなことを直接感じることの大切さを実感した。
私はこのカフカースの山を見てそれこそ猛烈な読書欲を感じた。今読まねば!この山を見ながら『死の家』を読まねばならない!
幸い私はKindleを旅のお供として持参していたので早速注文し『死の家』を読み始めた。
するとこの作品の中にもカフカースの山の民が出てくることに改めて気付いた。しかもドストエフスキーも彼らを好意的に描いていたのだった。ドストエフスキーともこのカフカースは繋がっていたのだ。
今回の旅の最大の収穫はカフカースで『死の家』を見出したことだ。トルストイはここで圧倒的な自然に触れ、そこに生きる人を見、世界観を揺さぶられた。同じようにドストエフスキーもシベリアで「人間」を見た。
自然、あるいは監獄、どちらも環境であり、それそのものによって二人が圧倒されたのではなく、あくまで人。特殊な環境の中で観た「人間」にこそ二人の原点があったのではないかと私はこの旅を通して感じた。
このジュタバレーでの経験はこの旅の最大の収穫となった。私はカフカースでドストエフスキーの『死の家』を見出したのである。
さて、今回の記事でいよいよ『秋に記す夏の印象』も最終回である。最後に旅の総括をしてこの旅行記を締めくくりたい。
あとがき~パリ・ジョージアの旅を終えて
ジュタバレーでの衝撃的な体験を終え、あとは帰国の時を待つのみとなった私は早速ドストエフスキーの『死の家の記録』を読み込んだ。
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宿のカフェからはカフカースの山々を正面に臨むことができた。私はカフカースの山々を眺めながら一心不乱に『死の家』を貪り読んだ。これほどまでに貪欲に本を読んだのは久々だ。ジュタバレーでこの本を見出し、一刻も早くその中身を確かめたい一心だったのだ。
「トルストイの原点はカフカースにあったのではないか」そんな仮説を立てて私はここまでやって来た。
そして実際にトルストイが見たであろう景色や山の民に私は思いを馳せることになった。
それが結果的にドストエフスキーと結びついたのである。
「ドストエフスキーはトルストイは正反対である。だから一方を学べば他方も学ぶことになる」
まさにその通りだった。
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私はアルメニアで体調を崩し、もはや旅の続行は不可能かと思い詰めたものだった。だがなんとかここまでたどり着けた。
その苦しさがあったからこそカフカースでの体験はそのひとつひとつが幸運なものに感じられた。本来体験することすらできなかったはずだったのにこうして一日一日を過ごすことができた。私は持てるかぎりの感性をフル活動させてカフカースを全身で受け止めようとした。
そうして見出したのがドストエフスキーの『死の家』だったのだ。嬉しくないわけがない。泣きたくなるくらい嬉しかった。カフカースでの最後の時間は、そんな気持ちを噛みしめながらの一時だった。
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カフカース最終日の朝、そんな私をねぎらうかのようにカズベキ山が真っ赤に染まっていた。
幸い、現地で処方された薬が効いてきてこの頃には体調もかなり回復してきていた。そうなってしまえば、「あぁ、もう少しいたかったなぁ」という気持ちが湧いてきてしまうのも人情である。
しかし悔いはない。やれることはやった。見るべきものは見た。
あとは帰国してこの旅をどう書いていくかである。
私はもう次に進んでいた。
そしてこの旅を終えてから1か月半後には第二次ヨーロッパ遠征が控えていた。実はこちらの方が私の本丸なのである。私の三年半の集大成と言っていい。そこに向けての前哨戦がこの旅でもあったのである。
私には時間が残されていない。今動かなければもう一生行くことはできなくなるだろう。
そういう思いでこの三年半を過ごしてきた。その旅のひとつがこれで終わった。
パリはヨーロッパを考える上でのひとつの基準となるだろう。ドストエフスキーもロシア対ヨーロッパという構図を考えた時にまずはパリとロンドンを念頭に置いている。ドストエフスキーにとってもパリはひとつの基準だったのだ。そういう意味でもパリをじっくりと見れたのはこれからの私にとっても大きな基準を与えてくれるだろう。
そしてオランダでフェルメールを見れたことも大きい。
絵画に対する考え方をいい意味で吹き飛ばしてくれた『真珠の耳飾りの少女』は私にとって忘れられない存在となった。微生物の発見者レーウェンフックと光の画家フェルメールとの繋がりを考えながら歩いたオランダは心躍る体験となった。
そしてアルメニア。ここはもう何も言うまい。すでに本文で語り尽くした。だが行ってよかったと心から思える。
ジョージアで過ごした日々は本当に貴重なものだった。ここに導いてくれたトルストイに感謝したい。
『秋に記す夏の印象』と題しておきながらこの原稿を書き終えたのは1月上旬である。この原稿の多くは11月からの第二次ヨーロッパ遠征中に書かれた。旅をしながらその前の旅についてひたすら書き進めるという作業は何とも不思議な気分だった。この経験を生かして次に進んでいきたい。私はこれからすぐ『ドストエフスキー、妻と歩んだ運命の旅~狂気と愛の西欧旅行』に取り掛かる。私にとってこの旅行記は三年半の集大成となるだろう。
ここまで読んで下さった皆さんに感謝したい。マニアックな内容もあったが私の思う所をひたすら述べさせてもらった次第である。これからもお付き合い頂けたら幸いだ。
では、ここで筆を置こう。私の『秋に記す夏の印象』はこれにて終了。皆様、本当にありがとうございました!
今回の記事は以前当ブログで公開した以下の記事を再構成したものになります。
あとがきの最後に書きましたように、私はこの後再びヨーロッパを旅し、次の二つの旅行記を執筆しました。
これから先、ここnoteでもその簡略版をご紹介していきます。ぜひこれからもお付き合い頂けましたら幸いでございます。
以上、「秋に記す夏の印象~パリ・ジョージアの旅」でした。
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