クリスマスなんて大嫌い

温暖化の影響なのか、季節が春や秋を味わう前に、夏や冬がやってくる。
11月も半ばを過ぎれば、もう街はクリスマスのイルミネーションに包まれてくる。

この期間が好きな人も多い。
この時期、舞い上がる周囲に反比例して、私は気持ちが沈む。
なぜ自分はこんな気持ちになるのだろうか?

今日は1日心臓の検査だった。
指定難病の疑いがあったが、検査の結果は陰性で、血圧を下げる薬を処方されて様子見となった。
採血結果の待ち時間で天神の街をぶらついた。
クリスマスの音楽。
イルミネーション。
街はもうクリスマスの装いとなっていた。
病院前の大きな公園も、クリスマスマーケットの設営が開始され、一部店舗はもう営業していた。

スターバックスに入ると、可愛らしい顔をした、短いスカートの女子高生が、シュッとしたパーカーの若者と並んでいる。
ふと、なんとも悲壮な感情が込み上げてくる。
そうだ。あの頃の「感覚」をこの時期に思い出してしてしまうから、私はこの時期が嫌いなんだろう。

学生時代はもちろん、社会人駆け出しの頃も、ずっと生活が苦しかった。
原因は母親の浪費癖のせいだった。
今の時代よりも、私が学生時代の頃の方が、モラトリアム期間を謳歌する若者が多かった。
ギリギリでバブルの残り香を漂わせる上の世代と、それなりの会社に入っていれば年功序列で勝ち残れた親世代。
失われた10年と言われ始めるも、これが30年も続くとはまだ誰も予想していなかった。

奨学金だけでは学費が払えず、バイトをする他無かった。
同年代の若者よろしく、私もファッションに興味があったので服も欲しかった。
FF7をやりたかった。新作はプレステでしかできなかった。
親戚の家の手伝い以外で初めて稼いだバイト代でプレステを買った。
ある時家に帰ると、プレステが無かった。品薄となったプレステが質屋で高値で取引される事を知った母親が質入れしたのだった。
なじっても責めても仕方がない。
他人の批判などどこ吹く風だった。

ある時は、奨学金にまで手をつけられ、学費が払えなくなった。
私は学校の知り合いの教授にお願いしてお金を工面した。
人に言えないような事もしてお金を工面した。
その事を母親に話をし、もうこういうことはやめてほしいと何度も懇願した。
その時口では「わかった」というのだけれど、行動は変わらなかった。
引き出しに現金を入れていたらいつの間にか無くなっている。
小さな金庫にたまたま鍵をかけ忘れたら万札が全部無くなっている。
祖母の五百円貯金は、毎回最後まで貯まる事は無い。

大学の同級生たちの生活は全く違っていた。
私のように、生活のため、学費のためにバイトをする者は居なかった。
親の仕送りで自分でアパートを借り、車を乗り回し、タバコをふかす。
異性と華やかな交友を楽しむ奴もいた。
お金がなさすぎて電車賃すら危うくなることがある自分とは大きく違っていた。
私は彼女と出かけようと思っても、金が無さすぎてお互いの家とか金がかからない公園デートなどが主流だった。
大学生カップルの旅行やドライブなど無縁だった。
昼は学校。夜は暇さえあればバイトだった。
あの頃は気が付かなかったが、心が疲れ切っていた。余裕が無かった。
次第に彼女との連絡も減り、別れた。
それはそうだ。私と一緒では、人生の楽しみを享受できない。
一緒に旅行にも行けず、スタバなんかでお茶するお金が無かった。
もちろん金の話だけではない。
私自身余裕がなさすぎて、相手を思いやる気持ちが足りなかった。
世の中を恨んだ。
自分だけが、周りと同じように生活を楽しめない。
同じ国で、同じ空間を共有しても、自分だけが取り残された感覚が増していった。

それでも真面目に生活を整える努力をしていった。
車の免許は無理だったが、バイクの免許をなんとか取得した。ローンで小さなバイクを買った。
相変わらずガソリン代に難儀するような有様だったけれど。
あの時とても寒かった。
懐具合が寒かったのもそうだが、手を繋ぐ相手も居なくなり、自分だけが取り残されたようなあの感覚が寒かった。
当時の彼女と暖かい思い出を紡ぐことができず、1人キャナルシティのイルミネーションの中、バイトに向かっていた自分自身を思い出した。
冷え切っていた。
身も心も冷え切り、浮かれた人々が疎ましく思えるようになり、毎年クリスマスが来るたびに憎しみに変わっていった。
社会人になって資本主義がわかるようになると、クリスマスの商業イベントとしての性質が目につくようになり、さらに冷ややかにイルミネーションを見るようになった。

そうだ。
この記憶、感覚があるから、私はこの時期を心から楽しめないのだと思い出した。

ミニスカートの女子高生と若者を心のどこかで疎ましく思ってしまう自分を客観的に見つめてみた。
それでも、「ああ、彼らは私と同様の20代を過ごさなくて本当に良かった」とは心の底から思える。
できれば、そういう20代を過ごすのはもうこの世の中で私が最後にしてもらいたいと本当に願っている。
現実には、私ほど酷くはないだろうが、似たような経験をした人は多くいるだろうし、今もどこかで息を潜めている。

ポッドキャストのイベントで、20という数字のネタを話すイベントがあった。
「20代の自分に言ってやりたい事」というネタを見つけた。
20代の自分にはあまり良い思い出は無い。
言ってやりたい事は山ほどある。
生活を立て直す知恵と実行力なら教えられるだろう。
20代の頃の私にこの言葉を贈る。

「家族とは縁を切れ。じいちゃんも、ばあちゃんも、今お前が守らなくても大丈夫だ」
「就職は一度東京に行け。年収を上げて後から戻ればいい。」
「お前は心臓に疾患がある。プロの格闘家は無理だ。趣味で続けろ。ただし辞めるな。」
「良いと思う女が居れば、20代で1度結婚しろ。無理でも2回目、3回目がお前にはある。」
「ビビるな。その事業構想は悪くない。」

今では、イルミネーションを案内して楽しんでもらう事ができるほどになった。
自分は楽しく無いが、それでも人に喜んでもらうのは嬉しいものだ。
さて、博多駅のイルミネーションが綺麗だ。
遠巻きに見て帰るとしようか。

いいなと思ったら応援しよう!