発熱

 一晩泊まった友人の家を発とうとして立ち上がると、ふらりと身体が傾いた。なんだか今日はやけに足元がふらふらしているのだった。念のためにと思って体温を測ると、38.1度あった。友人は私にカロナールを飲ませ、熱が下がるまで寝てから帰宅するようにと言った。

 よく晴れたゴールデンウィークの昼下がり。寝ていると頭がぐわんぐわんとよく回る。地面が斜めになったり回転したりするような心地を味わいながら、私は自分の身体が自重のままに布団に沈み込んでゆくのを感じる。病気の時は、全身の感覚が鋭敏になるものだ。窓から差し込む太陽の光とその温もり。掛け布団の重み。ゆるく締め付けられるような頭の痛み。車の排気音。それに紛れた小鳥の囀り。友人が本のページをめくる音。なぜか、部屋が時折りきしむ音。目で見るのとは違う方法で知覚される世界は、目で見るのとは違う景色を頭の中に作り出す。私は世界にとり囲まれている。
 目を閉じていて耳から知覚されるものたちは、全て流れてゆく時間が立てるその音である。いつもなら、どこかへ行かなければ、勉強をしなければ、本を読まなければと何かに急き立てられるように過ごす休みの昼間も、病気なのだから仕方がない。何かをしてはならないのだ。私は目をつむり、布団に身を横たえ、時間の流れに身をまかせる。そろ、そろ、と時間が私を押し流してゆく。夕方へと、明日へと、休みの終わりへと。
 いつの間にか私は眠りに落ちている。目が覚めてそのことに気づく。時計を見ると1時間経っていて、友人は変わらぬ姿勢で本のページを繰っている。休みだなあ、と思う。我々はいつも、時間を使って何かをする、進捗を生むということに躍起になりすぎているのではないか。時間に対して客体になることを、本当の休みというのではないか。そんなことを考えながら、いつまでも友人に迷惑をかけ続けるわけにもいかないので、私は帰る準備を始める。

 1時間寝ても、熱はまだあまり下がっていなかった。友人がタクシーを呼んでくれて、私は最寄りの駅まで800円もかけることになった。色々書いたけどもやっぱり病気なんてそうそうなるもんではないのである。特に、ゴールデンウィークの中日なんて日には。

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