創作への欲求
なんでも、創作できる人はすごいと思う。
大学に入学したころに少し話したっきりで、その後特に関わることもなければ友達になることもなかった人がいる。学部は同じなのでたまに講義室で見かけることもあるが、話しかけることも話しかけられることもない。こっちが一方的に、あ、○○さんだと思うだけで、視線が交わることはない。
その子はツイッターで絵師アカウントを運用していて、頻繁にイラストを描いては投稿している。版権絵とオリキャラのイラストの比率は半々で、版権絵に関しては私は全く詳しくないジャンルで活動している。定期的にTLに流れてくるので、その度にその子の絵を見て、いいねをする。正直に言えば、決して“うまい”絵ではないと思う。技術として“うまい”わけではない。それでも、そのキャラクターが好きであるということ。自分の描いているようなタッチの絵が好きだということ。何かを「描く」ことが好きだということがとてもよく分かる。私はその子の絵が好きだ。
その子は最近、歌も作っている。ニコニコ動画には2曲の歌が投稿されている。歌を歌っているのは機械音声のキャラクター。作詞・作曲・MVまで全てその子が作っている。
歌もイラストもMVも、いわゆる「プロ」のそれではない。やっぱりうまくはない、と思う。でも、その子は、自分でその曲を作ったのだ。どれだけの労力がかかるか知れない。MVのイラストなんて、動いているのだ。アニメーションを作るのにどれだけの技術と時間と根気が必要なのか。曲を作ろうとさえ思わない私には想像もつかないことだ。
そして歌には歌詞がある。その子が書いた詞だ。詩だ。自分の思っていることを、言葉として現前させるということ。私は何を書いても、それが自分の言葉だとは思えない。いつかどこかで見た文章や表現を、ただ焼き直して出力しているだけのようにしか思えない。私は自分の気持ちさえ自分の言葉で表現できないのに、その子の詩はまさしくその子のものだった。私がこれまでにどこにも見たことのない言葉を、私は聞いた。
自分の中にある何かを表現したいと思い、それを創造すること。絵が上手いとか曲作りができるとか、そういうこととは全く別の次元で、表現したいからするんだ、ということ。それはすごいことだ。1枚の絵、1曲の歌を作るという営みへと突き動かす何か、をその子は持っている。ただモヤモヤと思い悩むだけでその「何か」がない私には、それはとても眩しく写る。そして、そうやって創作されたものには、上手い下手とは別に「その人」が現れている。「表現したいこと」の背後から、「表現したい」という欲求それ自体の眩しさ、輝きが溢れ出ている、ように見える。それが、創作物の“味”、あるいは魅力と言われるものなのだろうと思う。
そういう創作をしたい、と思う。「表現したいこと」を欠いた、ただ何かを創作したい、というだけの、空っぽな欲求がある。私には絵は描けない。曲も作れない。空っぽな欲求は、それを乗り越えて何かを創り出そうというだけの力は持たない。でもそうだな、文章を書くという行為なら、その空っぽな欲求から生まれるエネルギーだけでもそれなりに営めるかもしれない。どこかで読んだものの焼き直しでも、もしかしたら「表現したい」という欲求を醸し出すくらいはできるかもしれない。
そういう文章である。
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