VTuberが分かる気がする

 一人暮らしをしている。家にいると当然そこには私一人しかおらず、独りだなあと思う。四六時中友達と遊んでいたって疲れてしまうし、大学は好きだけどやっぱり四六時中いたい場所ではない。家に帰りたい、と思うし、予定がない休日に安心する金曜日もある。でも次の日目が覚めて、ダラダラしていたら10時になって、外はぴかぴかの青空で風も涼しくてそれを散らかった部屋の中から見上げた瞬間なんかには、独りだなあ寂しいなあなんでもいいから誰かこの穴を埋めてくれないかなあ、と思うのである。
 そういう時は音楽を流す。決まりきったいつものプレイリストを再生すると、耳馴染みのいい、すなわち予想を裏切らない名曲が次々に流れる。もちろん好きな曲だからプレイリストにまとめているのだけど、人生にも生活にも意外性が必要なのだと唐突に思う。そしておもむろにあなたへのおすすめ、からApple Musicに選曲を任せてみる。けれどもやっぱりアルゴリズムは完璧ではないといういつもの結論に落ち着いて、結局音楽を止めるのだ。ああ、何かが足りない。
 友達に電話しようか、と思う。電話することもある。そうすると大抵楽しくて、休日に終わらせてしまうんだぜと思っていた課題が全く進まない代わりに、寂しさは紛れる。でもいつでも電話を取ってくれる友達がいるわけではないし、電話したって話したいことがあるわけでもないのだ。ただこの空虚を埋めてほしいだけなんだから。ああTwitterを眺めていたら午前中が終わってしまうよ。

 ここまでの独白に共感できない人は幸せだし、同時にVTuberが分かることもないんじゃないか。VTuberとは、そういう寂しさを埋めてくれる存在だと思うから。彼らはYouTubeでのライブ配信を活動のメインにしているけれども、そういう配信のアーカイブは大抵1時間以上あって、再生すれば1時間以上もの間、好みの声・喋り方の子がだらだら雑談をしてくれる。私はライブそのものを見ることはほとんどなく、アーカイブを受け身で聞くことしかしていない(だから投げ銭もしたことがない)。でも、なんとなく何かが足りない時に、沸騰まではいかない40℃くらいの心地よさで面白い話をしてくれる人、というのは心の中の何かを埋めてくれるのだ。それはVTuberでなくてもいい。ラジオでも、友達でも、家族でも、恋人でもいい。ただそのうちの一つにVTuberも含まれるということだ。
 昨今VTuberは空前の大ブームを見せていて、もはやレッドオーシャンの観さえある。壱百満点原サロメがたったの2週間でチャンネル登録者数100万人を突破したのも記憶に新しい。きっとそれだけの人がそれぞれ、何かしらの埋められなさを抱えているんだろうと思う。家に独りでいて、決して不幸せなわけでも、生きていけないわけでもないのだけど、何かが足りない。おそらくそれはきっと、何をするでもなく相対してくれるだれか、そういう"人"によってだけ満たされる何かで、我々にはそういうだれかが必要なのだ。

 一人暮らしをしている。家には私一人で、そういう寂しさと一緒に暮らしている。その寂しさをYouTubeから流れる声で埋めてみる、それが私の生活だ。それでいいじゃないか。


 いうてVTuberにわかなので大して詳しくありません。月ノ美兎さんの雑談配信をよく聞きます。そのくらいです。

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