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公園の水を飲める? 老人の衛生学

公園の水を飲める? 老人の衛生学

公園の水ってどんな水?

散歩をしていて、暑くてね。
夏だったら、小さいサーモを持ってる人が多いよ。
小さいペットボトルをぶら下げている人もいるね。
流石に薬缶を持っている人はいないけど。
最近は手ぶらの人が多いね。
そういう人でも、小銭だけは持っていてね。
そうそう小銭じゃなくて、スマートフォンとか持ってるよね。
暑くなって、水が飲みたくなると、マックとかに入って、
カンターでぴっぴってやってね、アイスコーヒーとか召し上がる。
こういう老人貴族もいるけれど、
わたくしは、老人貴族じゃなから、サーの称号もないし。
だから、わたくしは、公園の水栓から生ぬるい水を直接飲んでるね。
「公園の水って飲めるの?」
飲めるよ、冷たくはないけれど、普通だよ。
何年か前、立石の公園で水を飲んだわけ、
そうしたら近くで遊んでいた子が、わたくしが飲んだあとに続いて水を飲もうとしてね、
突然大きな声がしたんだよ。
「だめよ、水をのんじゃあ、きたないわよ、おなかこわすわよ。」と、女性の声。
振り向くと、結構かわいい若いお母さんが怖い顔をして男の子を呼んでいた。
今、自分が飲んだばかりの公園の水が、汚い水とは!お腹が壊れる水とは!
びっくりしたね。
水を飲んだ自分がなんだか悪いことをしたような気分にさせられたよ。
公園の水って、飲めるんじゃないのかな。
東京水道局は、水道の水を「東京水」とネーミングして売ってるし。
わたくしは、公園の水を昔から飲む派だね。
というか、貧乏だから、散歩中にマックとか入って休憩できないし。
でも、最近公園で水を飲んでいる子供も大人も老人も見たことないね。
昔は、並んで待っているくらい人気だったのに。
今は自動販売機に並んでいる。

家の水は飲めるの?

最近はミネラルウオーターが家でも普通に冷蔵庫に鎮座している。
水道水を飲まない家庭が増えている。
実際我が家でも、水道水を飲んでいるのはわたくしぐらい。
妻は飲まない。
妻は上品で高貴なお方なので、水道水は飲まない。
まあ水道水は体に良くないと疑っているんだね。
疑いの水道水、そんな感じだね。
でも、わたくしは、飲んじゃうね。
最近の人は潔癖症じゃないの?
水道水が健康に良くないなんて、いつ頃からそう思うようになったのかな?
ミネラルウオーターって、結構値段が良いよね。
水道水だったら、安い、別に体に悪いわけではない。
そんなにまずくはないし。
昔の日本映画とかアジアの映画を見てると、
お客さんにはまず水を出すんだよ、お茶じゃないよ、
お茶は金持ちだけだね。
井戸から汲んだ水をお客さんに出すんだね。
その水を美味しそうに飲む客、
ミネラルウオーターを飲む現代人より美味しそうに飲むのだ。

自動販売機のお水

老人も自動販売機でいろいろな飲料を買う。
わたくしは買わない。
自動販売機で水が売れるようになったのは、何時頃からだろうか。
昔は、水を買いに行く人はいなかったような気がするが。
(江戸時代は、砂糖を溶かした甘い水を売っていたらしい。)
そもそも、店で水を売っていなかった。
そこら辺にある水道の蛇口をひねれば、水を飲むことが出来たのだから。
部活では、おおきな薬缶に水がたっぷり入っていて、回しのみをしていた。
農作業や工事現場でも、大きな薬缶の中には水が入っていた。
そんな光景を今は見ることもなくなった。
水を飲みたい時は、自動販売機のミネラルウオーターを買えば良いのだ。
自動販売機のミネラルウオーターは、キンキンに冷えている。
水筒や薬缶をぶら下げて歩く必要もないのだ。
便利だ。
便利な世の中になったけれど、水イコール水道ではなく、水イコール自動販売機になってしまった。

きれいな世界の住人

きれい好きなのなどうか、意見は分かれるが、日本の街は半世紀を経てきれいになった。
特に公衆便所、これは世界一きれいかもしれない。
半世紀前は、東京でも汚れたところが満載だった。
銀座も裏道に入ると悪臭がするほどだった。
もちろん、その頃の山谷は、酒の匂いやげろの匂いが充満して、走って通り抜けたものだ。
赤線防止法が施行される以前の東京には、三業地という猥雑な街があった。
そして、三業地が廃れても、その残骸がひっそりと深い影に中に見つけることも出来たけれど、今ではその影すら見つけることができなくなった。
東京はLED電灯に照らされて明るくなった。
道路にタバコやガムや新聞紙が落ちていない。
バキュームカーの糞尿の匂いもまったくない。
こうして、都市が清潔になると、その街に済む人やそこへ通う人々も、皆きれいになった。
きれい好きの日本人が出来上がったのである。
昔は。田舎から出てきたばかりと思うような、ほっぺの赤い若い子がいた。服装も、田舎の子供は田舎の服装をしていたから、すぐ分かった。
そして、田舎弁丸出しだった。
それが、今はどうだろうか。
みんなキレイだ。
服装もセンスが良いし、化粧もばっちりしている。
いい匂いを発散させている。

公園で水を飲んでいるのは

少し前までは、公園に浮浪者(自由人)が住んでいた。
その人たちが、煮炊きや洗濯に公園の水を使っていた。
要するに、生活水として、公園の水は使われていたのだ。
中には、行水をする人もいて、公園の蛇口の前は賑わっていた。
井戸端会議という死語があるが、水道の周りに人々が集まって歓談をしていたのである。
しかし、近年特に、東京オリンピックに向けて、公園から浮浪者の姿が消えた。
荒川や中川や、多摩川からも、ビニールテントの建物を見ることができなくなった。
公園はキレイになった。

うんこを腹に抱えて歩いている人々

うんこは出るまで、誰も気にしない。
レストランで食事をしている時、
誰も彼も、お腹にうんこを抱えている。
それが、ちょっとでも外へ出ただけで、うんこはひどい扱いを受ける。
人間は、空気を始めとしてあらゆるものを体の中へ取り入れ、
その有効成分を摂取して生きている。
公園の水を汚いと思っているけれど、
自分自身はそんなにきれいなんだろうか。
清潔なんだろうか。
度が過ぎた清潔感で、お金は減っていないか。
公園の水は汚いから飲むべからずと言っているのは反科学的だ。
公衆衛生学からしても変じゃないかな。
空想のキレイと清潔感が、窮屈だ。

3秒ルールが神経質を笑っている

清潔感は、時代によって変化する。
衛生と清潔感は決して同じレベルではない。
例えば、生のレバーを食べるのと、床に落ちたお菓子を食べるのは、
比較にならないほど、生のレバーのほうが不衛生だ。
床に落ちたお菓子を拾って食べるのと、公園の水を飲むのはまったく同じだ。
いやいや、公園の水道の水のほうがまだ清潔だ。
もし、公園で膝を子供が擦りむいたら、水で患部を洗うだろう。
その時人は決して自動販売機の水を使ったりしないはずだ。
賞味期間も同じことが言える。
賞味期間が一日でも過ぎたら、もう食べられないと思っているが、
缶詰は返って中身が美味しくなるそうだ。
わたくしは、こういう最近の傾向を、全てのブラド化と思っている。
ブラド化は、バックや靴だけではなく、全てをブランド化しているような気がしないわけではない。
食べ物も、水も。そのうち空気もそうなるかもしれない。
住む場所を始めとして、環境のブランド化に競争する日本人。
昔の子どもたちは、3秒ルールを作って、神経質な大人を笑っていたのかもしれない。
年寄りよ、まずは公園の水道から水を飲もう!
ゲートボールで汗を流したら、水を飲もうじゃないか。
神経質になった、日本人に、反旗を翻そう。
清潔で神経質な日本は、窮屈過ぎないかな?
老人には衛生学は必要だけれど、衛生とはやたら清潔にすることではないね。
公園の水を飲むのは、水道の水を汚いと思う、神経質な心を開放してくれるはず。
長生きに、神経質は厳禁だ、こだわりのない生き方が出来たらいいね。

神経質はお金がかかる。若い人は、水道水をサーモに入れて歩けば倹約だ。

旗じいは、古い過去の人間だ。
だからこそ、若い人たちに偏見のない自由な気持ちを持って欲しいと願っている。

いつも旗じいの、話を読んでくれてありがとう。

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