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鳥瞰的に見る老人学・・・仕事術に役立つ話

鳥瞰的に見る老人学・・・仕事術に役立つ話

「老人学」は必要だ

老人になって、物事を見直してみる。
これも一つの仕事術。

物事の見方が、考え方を変える。
だから、見ることを学ぶことはいつでも大切。

世界地図と言うと、メルカトール図法など、主にヨーロッパの地図が主体。
確かに、平面図だと比較しやすいし分かりやすい。
で、昔の日本人は、平面図ではなく立体化した地図を使った。
日本人が測量を出来なかったのではない。
検地など実際はしていたから、距離を測る能力は高かったはず。
しかし、当時の日本人の地図は、上から見た鳥瞰図だった。
鳥瞰図とは「鳥のように空から地上を見た」鳥の目を借りて描いた地図だ。
今ドローンによって、人は鳥のような目で地上を見ることが出来るようになった。
そのドローンのカメラのような目を、数百年前の人々も持っていたのだ。
江戸時代の人々も、現代人と同じように、ものの見方にこだわりを持っていた。

見方で、ものの考え方が変わる

他人と話をしていて、腹が立ったりすることがある。
腹が立たなくても、気分が悪くなることもある。
そういう時は、真正面から相手を見ていたり、真正面から相手の言葉を受け取っていたりする。
苦手だと思ったら、斜めから相手に対すると良い。
もっと良いのは、ハエになって相手の体の上からブンブン様子を見ること。
鳥瞰的に見てもいいが、ハエ的に見ることも良い。
わたくしたちは、いつで真正面から物事を見てるわけではない。
そんなに真剣に見ていたら、すごく神経をすり減らすから、
適度に見ていることのほうが多い。
その適度な見方や、ちょっと距離を持って見ると、意外に冷静に見ている自分に気がつく。
賭け事にハマる人は、こういうものの見方が欠けている。
怒りっぽい人も同じだ。
良く天然ボケと言われる人がいるが、そうした人は、ものの見方がうまいのかもしれない。
天然ボケの人が喧嘩をしているのは、まれだ。
多分だが、そういう天然ボケと思われる人に、喧嘩腰になる人も少ない。
喧嘩相手になる相手は、やはり喧嘩の相手にふさわしいから喧嘩の相手にしてしまうのだ。

遊離する心から見える自分

遊離体験というものがあるらしい。
らしいというのは、わたくし自身もそんな体験をしたことがあったかなと自信がないから。
そこに存在している自分の姿が見えると言うことだが。
ものの見方で最大の見せ場は、この遊離経験だろう。
自己を客観的に見ると言っても良い。
簡単なことではないけれど、やってみようとすると遊離疑似体験ができるような気がする。
これは、集中力みたいなものだ。
一流の野球選手は、投手の投げる球が一瞬止まって見えるらしい。
事実は動いているのだから、止まっているはずはない。
しかし、考えてみれば、時間の流れは、一瞬一瞬の積み重ね。
ペラペラ漫画のようなものなのだ。
だから、一瞬一瞬が写真の一こまのように見えるということは、集中して物事を見ていると言える。
自分自身を客観的に見るということは、何時ものの通りの生活をしている自分に戻ること。
生活の計画を立てている時は、きっと冷静な自分がいるはずだ。
ある人は、深い呼吸の中に自分が見えると言う。
高飛びの選手は走る前に、放物線を描いて背面で跳ぶ姿を思い描くことができるそうだ。
冷静になると、自分の姿が見えるのかもしれない。

子供の喧嘩と瞬間湯沸し器

付き合っていると、体を必要以上に近づける人がいる。
飲み会で、体をくっつけて話をする人は、男女だと誤解される。
小さい子供は、すぐくっつきあう。
だから喧嘩になる。
小さな子どもたちを離すのは難しい。
大人に成長をしていく過程で、人との距離感を学ぶ人と学べない人がいるようだ。
距離感がない人は、すぐ激怒する。
カーとなる、瞬間湯沸し器だ。
外に出て暴言を吐くか、内にこもって自分に毒づくかどちらかだ。
肉体と精神がくっつきすぎていると、苦しくなる。
だから、自分をちょっと離してみることが必要なのだ。
自分のことを第三者に見立てて、見ることが良い。
それで、自分の思考に溺れたりすることがなくなる。
溺れる人は30センチメートルの水位でも溺れるらしい。
立てば溺れないが、横になれば溺れるということだ。
この事実は、とても恐ろしい。
自分で自分が溺れる状況を作っているのだから。

時には鳥のようにゆっくりと空に弧を描いてみたい

生き方には、色々な生き方がある。
地上に生きる人は、地上に根を張って生きるしかない。
ただ、精神はどうだろうか。
自由は、物質的なことを指しているけれど、
精神(こころ)の自由はどうだろう。
自由な心は、いつも鳥のように大空をゆっくりと飛んでいる。
がんじがらめの物質的な生活とは異質の世界。
そういう自由を手に入れた人は幸せなんだろうと思う。
お金持ちでなくても、心が空を飛ぶ自由を手に入れたい。
きっと、わたくしたちは空を飛んで、世界を見る力を秘めているはずだから。
仕事が現役の人も退職した老人も、空から眺める見方は忘れてはいけないような気がしてならない。

いつも旗じいの話を聞いてくれてありがとう。

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