同じものを繰り返し毎日食べる喜び
同じものを繰り返し毎日食べる喜び
いつからだろうか。
毎日同じものを食べなくなったのは。
簡単でも美味しいものはいっぱいあるのに。
手の込んだお金のかかるものを食べたがるのは。
今、食べないもの
基本的に高いものは食べない。
身の丈に合わない、金額的に折り合いのつかないものは食べない。
美味しくても高いのは遠慮することに。
マグロなどの高い刺し身や牛肉は食べない。
サンマやうなぎも食べない。
食べなくても全くストレスは感じない。
恵方巻きやおせち料理も食べない。
美味しくないし、やたら高い。
ソーセージやハムなどの加工食品も、極力食べない。
加工食品が体に悪いのは誰でも知っている、だから食べない。
シャインマスカットなどのはやりの食品は食べない。
流行りの食品は、良いか悪いのか分からない。
同じものが安心 納豆・豆腐・卵を毎日食べる
いつも同じものを食べるのは、安心だ。
体も慣れているので、お腹がびっくりすることがなくなった。
排便は1年中まったく変わりなし。
ごちそうを食べたり、美味しいものを食べすぎると便通が悪かった。
美味しいと思うものは、ちょっと体には負担だ。
体のためには、体がよく知っていて慣れているものが良いに決まっている。
だから、食べ物は体と良く相談をすること。
我が家は、夫婦揃って、おかひじきが大好物。
おかひじきの季節になると、毎週頂いている。
おかひじきは、食べると体が喜ぶ。
それが良く分かる。
美味しいとわたくしが言っているが、体も一緒に美味しいと言っている。
だから、いつもわたくしは、体と阿吽の呼吸で食べることにしている。
納豆・豆腐・卵は常備品だ。
体もわたくしも、安心して口に入れることができる。
そして、本当に美味しい。
納豆は、毎日毎日食べても美味しい。
卵は、生でも焼いても茹でても他のものと混ぜても美味しい。
豆腐は、万能の食材で、それ自体が完成したごちそうだ。
我が家は、毎週一回自転車で古くから営業をしている豆腐屋さんへ買い出しに行く。
木綿豆腐5丁・厚揚げ2丁・油揚げ2枚は二人食べる1週間分。
時々おからも買う。
たった30円である。
豆腐も厚揚げも油揚げも、すべておろした生姜を添えて食べる。
豆腐はそのまま食べることができるのが一番だ。
料理をしなくてもそのまま食べることができるから、暑い日には最適。
厚揚げは、炒め物や煮物にも使える。
そして油揚げは、万能の食材である。
毎日同じものを食べるメリット
納豆・豆腐・卵を毎日食べると、どんなメリットがあるのか。
一番のメリットは、ご馳走と思わないし、異常に食欲が湧くというわけでもない。
ただ、淡々といつものように美味しくいただくだけである。
これが、一番のメリットである。
つまり、いつも通りに、お腹がいっぱいになるほど食べないことである。
ご馳走だと思った時は、ついつい食べすぎる。
この食べすぎが全くなくなる。
量が減ったとしても、満足感は変わらない。
ご馳走を、食生活から排除した結果は、食べすぎがなくなることだろうか。
時々の稀な大きな喜びより、毎日の小さな喜びを
宝くじに当選する喜びを待ちわびている人、
それは一生あなたの前に現れないかもしれません。
だから、今もこれからも、必ず手に入る小さな喜びを手に入れよう。
塵も積もれば山となるのことわざは、使い古されているけれど、
何でも積み重ねることが大切だ。
待ちくたびれた何も心に残らない喜びより、いつもいつも降り積もる雪のような喜び。
小さくても手の届く喜び。
だからこそ、毎日が一番大切。
生きると言うことは、毎日の積み重ね。
だれも時間をジャンプして喜びに触れることは出来ない。
喜びは手作りするもの
喜びをどこかで頂いている人。
喜びにお金をつぎ込んでいる人。
喜びは、自分で作るもの。
もし、あなたが、納豆・豆腐・卵をいただく時、
いつも喜びを感じられたら、
毎日の食事は喜びいっぱいになる。
だから、わたくしたちは、自分にとって一番良いものを見つける必要があるわけ。
一番いいものは、自分の体や心と相談をして見つけること。
人の口や、テレビや雑誌の情報に惑わされないで、自分の体に耳を傾けよう。
日常は退屈だと思う幼稚な気分
幼稚な人間は、すぐ飽きる。
幼稚な人間は、物事の表面しか見ないから。
実際、日常は、奥が深い。
その奥は果てしなく深くて広い。
一生かかっても理解できないほどの空間が広がっている。
日常の積み重ねで生きていることを忘れたら、本末転倒。
自分から進んで入っていく日常には、退屈などない。
水の流れと同じように見えても、同じ水が流れていないように、
同じものを毎日食べても、同じものは一度としてないのだ。
「いただきます」と、命をいただくごとに、新しい命を頂いている。
その頂いた命を無下にしてはあまりにも傲慢すぎないか。
毎日の食べ物に感謝をしたい。
グルメ老人は哀れだ。
食べることの本質を見失っていいるから。
老人だからこそ、残りの人生を、意味のある人生として生きていきたい。
旗じいの話を、最後まで聞いてくれてありがとう。
人生は、同じことの繰り返しだ。
日々を重ねて生きてきた方々には、日常がどんなに大切か分かるはず。
テレビはずっとグルメブームだ。
老人は、ブームに惑わされず、自分の足元に光を当て、
自分たちの食生活を守って生きていきたいものだ。