想像と理解とゆるすこと①
「向こう(夫)の実家でみてもらいなさい。」
20年前のある日、「里帰り出産をしたい。」と母に連絡したら母から返ってきた返事がこれだった。
20年前は現在のように産休育休制度も整っておらず、「産休育休?そんなの取ったらもう昇進できないよ?」という転勤族の夫と
頼れる友人知人もいない土地での初めての出産・育児への不安が大きかった私は、
実家での里帰り出産を希望していた。
「なんで?なんでそんなこと言うの?」「娘が初めての出産をするのにどうして?」「お母さんにとっても初孫なのに。」「向こう(夫)の実家でみてもらうなんて不安だよ!」
だが母は私がどんなに不安を訴えても「なぜ里帰り出産ができないのか。」は言わず
「向こうでみてもらいなさい。」「お母さんは知らない。」と言い続け、一方的に電話を切った。
あの頃、母は祖母の介護を担っており、精神的にも肉体的にも余裕がなかったのだろうと、今の私だったら想像できる。
48歳の、2年前に母を介護施設に入れた、今の私なら。
だが想像できることと理解できること、そして「許すこと」は別だ。
28歳の私は想像も理解もできなかった。
里帰り出産を受け入れてくれる、と当たり前のように考えていた。
まさか拒否られるとは思ってもいなかった。
私を愛してくれているなら、当然だと思っていた。だが母は許さなかった。
思い返してみれば、母は私が結婚した時も妊娠を伝えた時も、笑わなかった。そして祝福の言葉もなかった。
「結婚するの?」「育てられるの?」第一声がそれだった。
母は昔から自分の結婚を深く悔やんでいて、父がどんなにひどい夫か、父の実家が母にどんなにひどい仕打ちをしてきたかを繰り返し訴え
「結婚なんかするんじゃなかった。」「子ども達がいなければ離婚していた。」「子ども達がいるから離婚しないんだ。」と愚痴った。
中学生の娘に、毎晩。
私には妹も弟もいたのに、私だけ、ずっと。
自分の人生の責任を子どもに丸投げする言葉を易々と吐き、その言葉がどんな呪いとなるのかを一ミリも考えず、その行為に疑問すら抱かなかった母。
子を産んで親となった私は、この呪いからの脱却のために七転八倒することになるのだが、それはまだ遠いお話。