想像と理解とゆるすこと⑮
この人は、私をお母さんに見立て、私に「ごめんね」を言わせたいんだ。
夫と対話ができない。
夫、52歳。現在メンタル不調により休職中。
彼がメンタル不調になるずっと以前から、夫とは対話ができなかった。
子育てをする中で、違和感はずっとあった。
子どもの教育や進路や体調のことを相談しても、彼は「俺は分からないから。」で終わらせた。
(以前のnoteにも書いたが)
「調べておくよ。」とか「先輩に聞いてみようか。」とか「病院に電話しよう。」とは言わなかった。
私は何度も対話を試みた。
泣きながら「協力してほしい。」と何度も訴えた。
その度に彼は「何をしてほしいか具体的に言ってくれないとわからない。」を繰り返した。
まだ若く、見知らぬ土地での孤独な育児に、私も精神的に追い詰められていたのだろう。
感情的にならざるを得なかった。
「具体的に」などと言われても、それを考えている余裕がなかった。
子どもが3歳の頃からだろうか、私の諦め癖が発動して、私は彼との対話を諦めるようになった。
泣いたり怒ったり、大きなエネルギーを使って毎回毎回彼との対話を試みる度に疲弊するより、子どもを育てることに全エネルギーを使ったほうが省エネになることを学んでしまった。
好きにしたらいい。
私は、私の力だけでこの子を育ててみせる。
そうやって私は親になり、彼は親になり損なった。
彼は未だ親になっていない。
今日も子どものことであるお願いをしたら、「それはわかった、やっとく。」とは言ったものの、私に対して「お前は責めてないけど俺がお前を責めてる。」と謎の呪文で話の方向性を変え、結婚してから今まで己が一人でいかにこの家庭を金銭的に支えてきたかを滔々と語りだした。
唖然とした。
確かに私は超超箱入り娘の夢見る夢子ちゃんで結婚したので、金銭感覚は自他共に認めるザルであり、職業能力適性検査の結果からも、およそ経理や財務には向いていない。
しかし、知り合い0且つ実家からの手助け0の転勤先で、子育てしながらどうやって夫と同等額の金銭を稼げというのか。
家計的には夫に依存せざるを得ない状況であったことは、夫は100も承知のはずだ。
なぜなら彼は、私がパートに就く際に「家事に支障がないなら働いても良いよ。」と言ったのだから。
それはつまり、「家事は妻がやること、稼ぐのは夫の役目」と自ら定義付けたことになる。
それを今更?
あなたが働いていた時間に、私が何もしていなかったと?
あなたが会社にいた時間や飲みに行ってた時間に、私が何もしていなかったと?
「お前は何をしてた?」とはどういう意味?
彼の母が脳裏に浮かんだ。
死ぬまで専業主婦だった、彼の母。
軽度知的障害及び自閉症の次男について、死ぬまで障害受容せず、家族を置いて一足先に旅立ってしまった、彼の母。
気が強く、帰省した息子とよく口喧嘩をしていたが、決して謝らない人だった。
子育てには無関心だが高給取りだった夫に内心では見切りをつけ、しかし離婚はせず、2人の子を一人で育てた、彼の母。
家庭の一切を支配していた彼の母が亡くなったあと、残された私達は途方に暮れた。
老いた父、障害のある弟。
彼の肩に突然背負わされた、あまりにも大きい、大き過ぎる負の遺産。
この人は結局、自分の母親を私に投影して、その投影した母親から「ごめんね。」という、彼が心から渇望したがついぞ聞くことの叶わなかった言葉を吐かせて、満足したいだけなんだ。
なんだ結局、私はここでも「親」なのか。
母との関係性において親子が逆転していたように、夫婦の関係性もまた同じだったんだ。
「それは確かにあなたに任せっきりだったね、ごめんね。」
私じゃない誰かが、私を通して台詞を言った。
私の心は一滴も波立たなかった。