オープンダイアローグを語りきる
今、ものすごい勢いでこの記事を書いている。
というのも、昨年私がまだ真っ白い霧の中に揺蕩っている時期に参加した
『オンラインオープンダイアローグ』で出会った仲間から、
今度は自分でオンラインオープンダイアローグを始めるというお知らせをいただいたからだ。(Home | karikakoi (jimdosite.com))
このお知らせに触発され、私は今、「書くなら今しかねぇ!」という気持ちでこの記事を書いている。
私がこういうゾーンになった時はめっちゃ長くなるので覚悟してほしい。
2023年3月、復職は果たしたものの私はまだ真っ白い霧の中をふわふわと揺蕩っていた。
自分が何をしたいのか、どこに向かえばいいのか、何に手を伸ばせばいいのか、そもそも何を欲しているのか、どういう状態になりたいのか。
何もかもがぼんやりとしか見えず聞こえず、目の前には霞のような霧のようなふわふわとした白い煙が漂っていた。
人から見れば、子育てがひと段落した『空の巣症候群』に陥っている、更年期真っただ中のおばさんの悪あがきだったかもしれない。
でも私は必死だった。ここから出たい、どこかに行きたい、ここにいてはいけないことは頭では理解しているのに、でもどこに、どの方向にこの足を出せばいいのかわからない、どっちに手を伸ばせばいいのかわからない。
そしてその必死さと同じくらい「まだここにいたい…。」という気持ちもあった。
そんな中、休職中の2022年12月からイロさん(Home | コーチングIROHA (square.site))のカウンセリングを受けていた私は、イロさんが企画した『オンラインオープンダイアローグ』に「やってみたい」、ただそれだけの理由で飛びついた。
相談職を続ける中で「オープンダイアローグ」という言葉は聞いていたし、日本でその手法を広めている斎藤環先生の『オープンダイアローグとは何か』、森川すいめい先生の『感じるオープンダイアローグ』も読んで知識としては脳みそに収納されていた。
だが、私の周辺でそれを実践している団体は少なく(そもそもその時期の私は、電車に乗って東京まで出かける体力がなかった)自分で実践したくても自分が経験したことがないことを、誰かに実践することには抵抗があった。
(ただ思い返してみれば業務の中の「グループワーク」という形で似たことは行っていた。)
不安がなかったわけではない。
オープンダイアローグとは元々は対面での対話を主とする『技法』だ。
それを「オンライン」で行うとは・・・イロさんやっぱすごい人だな・・・。
そんな不安は初回で吹き飛んだ。
「杞憂」ってこういうことをいうのだと感じた。
初めて会う人たち。
BTSが好き、という共通点があるだけ。
ただそれだけの共通点しかない人たち。
それでもなぜか言葉があふれた。
初めて会った人が語る物語に、涙があふれて仕方がなかった。
「初回から泣いたおばさん」誕生の瞬間だった。
今でも忘れられない。
「涙の基は血液。ろぴおさんは私のために血を流してくれた。」
初回で泣いたおばさんは、泣きすぎて初回の内容をほぼ忘れているのだが、この言葉だけは覚えている。
あぁ、私の本質はそこにあるのかもしれない。
だれかのために、自分で「この人のためなら」と決めた誰かのために血を流すことが、私のやるべきこと、やりたいこと、やってきたことなのかもしれない。
オンラインオープンダイアローグは全6回実施された。
私は毎回泣いていた。
だが泣きながら、泣きすぎて脳みそがぼんやりしながらも、次から次へと言葉が脳内にあふれた。
言葉が、言葉のシャボン玉がふわふわふわふわと脳内に現れる。
そのシャボン玉に手を伸ばそうとした瞬間に、それはぱちんと弾けてしまう。
それでも次から次へとシャボン玉がふわふわと出現し、弾け、私はそのシャボン玉が弾ける前に、なんとか触れようと躍起になって四方八方に手を伸ばす。
やっと触れた、やっと手に入れたと思っても、そのシャボン玉は私の手の中で弾けてまた消えてしまう。
そんなことの繰り返しだった。
以下が全6回を終了した直後に、メンバーグループチャットに送った激重感想文。
『自分がリフレクティングを受ける側の回は、もっと自我が混沌とした。
メンバーが選び取る言葉の鋭さ、清らかさ、誠実さ、温かさ、色彩のあざやかさが私の輪郭を変えていく。
色が少しだけ変わる箇所もあれば、一気に色彩が変わる箇所もある。
ガラガラと音を立てて崩れ、修復の仕方がわからず崩れたままの部分もある。正直怖い、でも面白さが勝つ。
50近くなってこんな経験をするなんて、しかも自らそこに飛び込むなんて無鉄砲にもほどがある。でも面白いんだからしかたない。
毎回毎回内省化が進みすぎて言葉があふれ出しては消えを繰り返して、文字通り『頭が疲れる』6回だった。
でもずっと「母と同じ人生になったらどうしよう。」と不安だった私は、50近くなってもこんな面白い経験ができてる時点で、全然母とは違う人生を歩めてるじゃないか、大丈夫だよ、それを確かめたくてこのオープンダイアローグに参加していたのかもしれない。
ありがとう、みんな。
みんなからもらった言葉を時々思い出しては撫でて確かめてまた大切にしまうね。
そしてそれが形を成さなくなっても、きっと私の心の中で何かしらのタイミングで灯ると思うんだ。
それがオープンダイアローグの効能なのかもしれない。いまはよくわからないけど。
でも確かに私の中には残っている。ありがとう、私に言葉をくれて。ありがとう。』
・・・重すぎる。
そして怖すぎる、ヤバすぎる。
脳みそが疲れる作業の直後に、どんだけの勢いで言葉を繰り出してるんだ、私は。
オープンダイアローグの効能とはまさしく『物語を語りきる』ことにあると思っている。
だれかに自分の物語を語る、そしてその読者からの感想文を「リフレクティング」という形でもらう。そしてまた自分の物語を語る。
『物語』だから、『作者』が「おしまい。」と決めたら、その物語は「おしまい」。
言い換えれば『作者』が「おしまい」と言うまで、その物語は続く。
だれにも遮られず、茶々も入れられず、いじられもせず、否定も訂正も分析もされず、「でも」とか「それはさ~」とか「ふつうは~」とか言われず、困っていてもいなくてもいいから、ただただ作者が語りたい物語を語っていく。
その物語をどんな言葉で彩り、形作り、進めていくのか、それを決めるのも『作者』だ。
とことん『作者主体』。
それがオープンダイアローグの肝だ。
そして、この『作者主体で語りきれる』場が私達には不足している。
安心して、自分の物語を語りきれるだけ語れる場が、私達には必要なんだと思う。
だから語りたいだけ語れる場を増やしていこうと覚悟し、勇気をもって一歩を踏み出した仲間を心から応援したい。
オンラインでしか会ったことのない、私の大切な大切な、私の物語を聞いてくれたあなたへ。
心からの尊敬と感謝と声援を送ります。サランへ!