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想像と理解とゆるすこと⑤

「前は完璧なお母さんって感じだったけど、相談職に転職してから良い意味で変わったよね。」
先日、20歳になった子どもからの手紙にあった言葉。子どもによく言われる言葉。「ママは変わった。」。

ああ、この子もそう感じてるんだな、感じてくれてたんだな、あなたを二度と傷つけまいと、二度とあんな顔をさせまいと固く決心したあの日がそうだったんだよ、ごめんね、あんな顔をさせて。ごめんね、呪いをかけて。
嬉しさとありがたさと申し訳なさが交錯して、自分でも呆れるほど涙が出る。

8年前、子どもを中学受験させた。そう、「させた」のだ。そこに子どもの意思はなく、完全に私の意思だった。
私は言葉巧みに受験へと子どもを誘導した。「受験すれば6年間を自由に過ごせるよ。」「やりたいことを思いっきりできるよ。」と。

のんびりゆったり過ごした東海地方から首都圏に転勤してきた私達家族は、所謂「文教地区」と呼ばれる地域に転居した。その時点で周囲は既に受験対策を始めていた。私は焦った。「このままじゃこの子は落ちこぼれる!」「バカにされる!」

今から思えば誰からバカにされるのか、落ちこぼれとは誰がそう評価するのか、根本を考えれば私のほうが「バカ」だ。
だがあの頃の私は「私立中学へ進学させた親=立派な親」という思い込みがあった。私立中高に進学することが、子どもの幸せだという考えに囚われていた。そして子どもに呪いをかけた。「勉強ができない子は悪い子」という呪いを。

あの日、受験日当日、すべての科目が終わって迎えにきた私の前に現れた子どもの顔は蒼白だった。文字通り真っ青だった。「ぜんぜんできなかった…。」「面接も何言ったか覚えてない…。」

たった12歳の、まだまだ小さいあどけなさの残る、丸い細い肩を震わせて。

こんな顔をさせるためにやってきたわけじゃない、こんな顔が見たかったわけじゃない、何をしてきたんだ私は。何をしてるんだ私は。また、母と同じことをしてるじゃないか!

私は子どもに一生消えない傷を残した。どんなに償っても償いきれない傷を残した。これは虐待だ。
もう二度とこんなことはしたくない。もう二度と同じ過ちをしたくない。
変わらなきゃ、この子を変えるのではなく、私が変わらなきゃ。変わらなきゃいけないのは、私なんだ。

そこからは自分との闘いだった。
カウンセラー養成講座に通いながら、同時にカウンセリングを再開した。
自分が如何に子どもを見ていなかったか、自分が如何に母との関係性に囚われていたか、常に自分と対峙し内省を深めていく。

子どもに呪いをかけたくなる自分と、それを阻む自分。
自分の中にないものを一から学び、獲得し思考を変えていく。
何が一番大切で、何をしてはいけないか。どんな言葉を紡ぐか、どんな態度で接するか。そして、どんな親でありたいか。
私の大切な大切な宝物をもう二度と傷つけないために、一つ一つの思考の解像度を上げていく。

残ったものはただひとつ。「あなたが幸せなら私も幸せ。」だった。


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