宇治から草津へUターン!上津屋橋と草津宿本陣を行く【草津宿本陣編】
前回までで昼食を済ませ、この日の大トリである草津宿本陣を目指した。
草津宿本陣
旧中山道及び旧東海道は基本的には徒歩での通行を前提とした古い道であり、当然ながらその幅員は狭い。
また、沿道には建物などが密集している場所も多いため、現代の交通手段の王様である自動車交通に適しているとは言い難いものだ。
そんな旧東海道(中山道)に面して立地している草津宿本陣の付近は狭い道路が多く、草津宿本陣の駐車場も旧東海道から隘路へ入ったところにある。
門の手前にある一方通行の道路が、旧東海道(中山道)だ。
奥に見える大きな木札は関札といい、これは本陣に宿泊している宿泊者一行を示すものだ。
氏名や藩の名称ではなく大名の氏と官職名が記載されており、例えば「細川越中守宿」(熊本藩細川家の事を指す)などという振り合いである。
類似したものは現代でもホテルや旅館の正面玄関などにあり、「誰それ様御一行」等と言った具合に団体客などの宿泊者を示す看板が用意されていることがある。
それの江戸時代版のようなものだろう。
この部屋は上段の間といい、本陣での宿泊者の中でも格別身分の高い貴人が宿泊する際に用いられたそうだ。
要するに、本陣におけるスイートルームのようなものと言えよう。
対してこちらは向上段の間といい、上段の間の向かいにあることからその名が付いている。
格式としては上段の間よりも一段低いそうだから、旗本や幕府役人などは上段の間を使わずにこちらを使ったのだろうか。
興味は尽きないが、少し調べたくらいでは分からなかった。
右手に見えるかまどは、風呂の湯を沸かすために設置された湯沸屋形と呼ばれるものだそうだ。
決してピザ窯ではない。
こちらは草津宿街道交流館という資料館で、草津宿本陣から徒歩数分の位置にある。
ただし、館内でも二階の資料は撮影禁止なので、駕籠くらいしか撮影出来なかった。
草津川隧道
川の隧道(トンネルの事を指す言葉)ということは水底トンネルであるはず。
そうであるにもかかわらず、なぜか眼前の隧道と呼ばれる穴は高速道路の下を潜るアンダーパスの如き様相を呈している。
一体どういうことだってばよ…。
そんな疑問を持った方もいるのではないだろうか。
この不思議な隧道の正体は単なる水底トンネルではなく、いわゆる天井川トンネルと呼ばれるものなのだ。
天井川
そもそも天井川とは何かというと、住宅の天井以上の高さに川底がある河川の事を指す。
天井川が出来る仕組みは文章では分かりにくいのだが、出来るだけ分かりやすく記述する。
治水対策として両側を築堤された河川は、土砂の堆積により川底が底上げされて川の水位が上昇する。
河川の氾濫を防ぐべき堤防は河川の水位よりも相当高くなくては機能しないため、当然河川の水位上昇に伴い堤防も嵩上げをする事になる。
これを繰り返していくうちに、底上げされた川底がいつしか周囲の建造物よりも高くなってしまうというわけである。
それだけ川底が底上げされると、もはや平地と並行する箇所に水底トンネルを掘っても支障がない。
それどころか、わざわざ高い堤防を上がってから架橋するよりも便利であることは明白なので、天井川トンネルが各地に建設されたのだ。
なお、天井川周辺の地域は川よりも低地となることから、ひと度河川が氾濫して水害が発災した場合、その被害は極めて甚大なものとなる。
そのため、天井川そのものは各地で河川改良工事により姿を消しつつある。
それと同時に天井川トンネルも数を減らしており、令和4年10月にも同県高島市にあった大正時代竣工の百瀬川隧道が解体されてしまった。
もっと早くに天井川トンネルの存在を認知していれば、解体前に観に行っていたことだろう。
今となっては後悔が残るばかりである。
草津川
これは草津川隧道、草津追分から堤防を登った場所から撮影したものだ。
中間あたりにあるアンダーパスは草津川跡地公園への入口であり、すなわちこの位置が草津川の水底だったということである。
横に位置する集合住宅と比較すれば、まさに天井に迫る高さであった事がよく分かるだろう。
かつて天井川として有名だった草津川は、現在は流路が切り替えられて天井川ではなくなった。
これによりかつて天井川だった区間は廃川となり、現在は公園など様々な形で土地利用がされている。
最後は草津市から守山市へ向かい、ピエリ守山の日帰り温泉「水春」にて琵琶湖大橋を眺めながら湯に浸かった。
ここに来たのは手頃な日帰り温泉があることと、ショッピングセンターマニアの友人がピエリ守山に関心を示していたからだ。
既に訪問済みで再訪だったようだが、あれこれ感心しながら観ていた。
私の手元には写真はないが、せっかくなのでリンクを貼っておこう。
たった一日の日帰りであっても、こうして文字に起こすとなかなか濃い一日を過ごしていたものだと感慨深くなる。
学びがあると言うと大仰だが、またしても興味関心の裾野を広げる一助になったのは間違いない。