再び冬の和歌山へ!ショッピングセンターマニアと行く紀伊半島【白浜町編】
1月28日(三日目)
南紀白浜リゾートホテル 古賀浦別邸
楽しかった二泊三日の和歌山旅行も、いよいよ今日で最終日だ。
オーシャンビューの客室から日の出を眺める雅な朝を迎えた私たちは、前日に近くのスーパーで調達しておいたお惣菜とおにぎりを温めて食べるという雅さのかけらもない朝食をとっていた。
宿泊費用をケチったというのは間違いではないが、そればかりではない事情もある。
実はこの宿、食事付きプランが存在しないのだ。
ホテルの従業員のおじさんによれば、このホテルでは当初は伊勢海老などをメインにした海鮮料理も提供していたが、新型コロナウイルス感染症による打撃を受けてレストランが閉店してしまったのだという。
公式サイトには今も料理に関する記載がされたままだが、これはいつ改めるのだろうか。
レストランの設備はあるので、今後再オープンすることも検討しているのかもしれない。
こういった事情から食事に関しては持ち込みが必須ということもあり、一階には電子レンジが置かれていた。
建物の外に出ると庭があり、朱色の橋が架けられている。
散策しているとホテルのおじさんに記念撮影をしてもらえた。
こちらはご覧のとおりテニスコートだが、かなりくたびれていて長年使われていないように見える。
一応ネットは張ってあるから、テニスは出来なくないのだろうが。
そもそも来たときから建物の外観等から保養所のような印象は抱いていた。
宿泊施設にしては内装も外観もやや簡素で、観光客向けにしては地味なのだ。
そんな話をしながらホテルの周りを歩いていると、最終的に看板に書かれた「研修棟」の二文字が目に入り、ここが元保養施設であっただろうという推測が確信に変わったのだった。
気になったので写真を撮ってくれたホテルのおじさんに聞いてみると、案の定ここは保養所だったそうだ。
それも何と毎日新聞の保養所だったという。
このような立地の良い場所に保養所を設置するとは、さすがは全国紙の新聞社だ。
令和の今は新聞の購読者は減ってしまったが、もっと多くの契約者が居た当時は今よりもリッチだったろう。
このプールも仕切りで半分に区切られていて、底が浅い方と深い方に分けられていた。
明らかにファミリー層を意識した作りだ。
敷地内に面白そうなトンネルを発見。
内部を見てみるとモルタルらしきものを吹き付けただけの簡易なトンネルだが、あまり古いものではなさそうだ。
ホテル川久
ホテルの周りを歩いていると、ひときわ目立つ建物が見えてきた。
およそ日本の伝統建築物とは言い難い西洋のお城のような建物だ。
これが高速道路のIC近くに立っていたら間違いなく風営法の適用を受ける建物だと思ってしまうだろうが、このホテルは旅館業法の適用のみを受ける通常の宿泊施設なので安心してほしい。
この宿泊施設はホテル川久といい、バブル時代に贅の極みを尽くして建設され、当初は会員制だったほどの高級ホテルである。
詳細は検索すれば分かるので省略するが、実は一度倒産して再建されている。
再建後は私のような庶民でも泊まることが出来る程度の価格となっており、決して安くはないが非常識なほどの高額な宿泊料金ではない。
実は、以前職場で一緒だったバイトのおばちゃんがホテル川久のリピーターだった。
そのため、実は来る前からこのホテルの存在は知っていたのだ。
ちょっと気になるホテルではあるが、一泊あたりの宿泊料金が安くはないので、もう少し歳を重ねてから泊まってみたいと思う。
千畳敷
西牟婁郡白浜町と言えばパンダを飼育している事やその広大な敷地面積で有名なアドベンチャーワールド、次いで白砂が美しい白良浜や白浜温泉の印象が強いと思う。
あくまで個人的な感想だが、中でもアドベンチャーワールドに関しては和歌山県の地理に明るいとは言えない私たちのような愛知県人でも知っているほどの知名度がある。
やはりパンダの効果は絶大なのだ。
しかし、今回白浜町で我々が向かった観光地はそのいずれでもなかった。
アドベンチャーワールド意外にも多くの観光名所があり、その一つが今回訪れた千畳敷だ。
千畳敷とは長年の波や風雨によって風化した岩畳のことで、国の名勝にも指定されている景勝地だ。
ところどころ険しい部分はあるが、畳の名を冠するだけあって平らな部分も多いため全体的に歩きやすい。
いつの時代も文化財などに落書き等をする輩がいるが、千畳敷でもこうしたしょうもない落書きがされているのは悲しいことだ。
これは千畳敷から見て日本や世界の各都市がどの方位にあるかを刻んだ石碑だ。
距離も方位もあまり実感がわかないが、観光地にはこの手の石碑がありがちな気がする。
三段壁
千畳敷の見学を終えた私たちが次に向かったのは、同じく景勝地の三段壁だ。
断崖絶壁の景勝地として有名なこの地だが、この三段壁にはもう一つウリにしているものがある。
それは三段壁洞窟と呼ばれる波の侵食により形成された海蝕洞の存在だ。
かつて熊野水軍の拠点として船が隠されていたとの伝承がある洞窟なのだが、なんとこの洞窟には地上からエレベーターによって直接アクセスすることが出来るのだ。
深さは実に36mもあるのだが、これほどの高低差をエレベーターという力技で克服しているところが面白い。
三段壁近くまでやってきて、とりあえず適当な駐車場を探していると土産屋が見えたので入ることにした。
観光地にある土産屋の駐車場というのは、大抵いくらか買い物をすると駐車料金を取らないという場所が多い。
どうせお土産を買うだろうし、あまり深いことは考えずにこの駐車場を利用することに決めたのだ。
しかし、記事を執筆している今頃になってあらためて調べたところ、なんと近くに町営の無料駐車場があったことが判明した。
町営駐車場からは三段壁まで徒歩2分と距離も近く、わざわざ土産屋の駐車場を利用する特段のメリットは無かったのである。
ちゃんと入念な下調べをしておかないと損をする(あるいは、損をした気分になる)ということのいい例になってしまったが、理由は下調べを怠ったことだけではないだろう。
その理由というのは、この土産屋の立地そのものにあると思う。
白浜町の中心地から三段壁へ向かって走行した場合、土産屋のある場所は町営駐車場よりも手前にある。
そのため、土産屋よりも先へ進んだ場所に町営駐車場があることを知る前に、眼の前に現れた広い駐車場を見てつい入ってしまうのだ。
その心理は色々あるが、私の場合は「ここよりも先に駐車場がなかったり、あるいは満車で駐車できなかった場合に、わざわざ引き返すのが面倒くさい」という理由だった。
実際、無料の町営駐車場に利用者が集中することなど明白だし、それだけ満車になっている可能性も高い。
そうした可能性も踏まえると、私は無料駐車場を使うという選択肢があったとしても、結局土産屋の駐車場を使っていたかもしれない。
現にこの時も満車だった可能性はあるので、一概に「損をした」とは言えないのだ。
そもそも白浜町の中心地は三段壁よりも北の白良浜などを中心とした場所であり、そこに宿泊施設も集中している。
そのため、そこで宿泊した観光客が三段壁に向かう場合は上述のとおり手前にある土産屋の駐車場の方が目立つから、そちらについ入ってしまうのだと思う。
意図した立地かどうかは知らないが、満車に近い状態になるほど盛況な利用状況だったので、大なり小なり効果はあるのではないだろうか。
これが三段壁洞窟へと入るためのエレベーターの建屋だ。
入口は分かったので、とりあえず洞窟へと入る前に断崖絶壁の三段壁を見ておくことにした。
周囲を険しい岩場に囲まれていることがよく分かる。
この手前の崖下に洞窟への海からの入口が存在するが、足元なので見ることは出来ない。
三段壁洞窟
さて、いよいよ洞窟へ入る。
とは言ってもエレベーターで降りるだけなのだが。
地下に降りると通路が二つある。
右が順路になっていて、ぐるっと一回りして戻ってくるようになっている。
これが三段壁洞窟の海からの入り口だ。
透き通った青い海と力強く削られた岩肌が非常に美しい。
このあたりの地形は、かつての海岸線が隆起して出来たものだという。
台風の後に突如現れた岩石で、なんとも絶妙なバランスで留まっているらしい。
この場所から見えるようなので撮影してみた。
かなり遠くの方に小さく見えている。
もう少し拡大してみよう。
これがサドンロックだ。
しかし、悲しきかな。
スマホカメラのズーム機能ごときでは足りないレベルの距離にあったので、あまり綺麗には写せなかった。
湧出しているのは温泉で、写真左手にある柄杓を使い触ることが出来る。
たしかに温かくて気持ちが良かった。
これが日本最大級と言われる青銅製の牟婁大弁財天で、どうやら水の神様なのだそう。
仏像がいつ頃から安置されているのかは知らないが、おそらく観光地化してからだろう。
台風などの波が荒い日には危険なため休館するほど海とは近い場所にあり、水の神様を祀るのも道理ではある。
この日はもう帰宅する私たちも、帰路の安全を祈願して参拝した。
色々な神様がおわすようで、とにかく万事ご利益がありそうだった。
牟婁大弁財天を過ぎると瀬戸鉛山鉱山跡が見えてくる。
江戸時代以前から亜鉛や金、銅などの様々な鉱物資源が採取されていたそうで、白浜町の町制施行前の名称は瀬戸鉛山村だったほどだ。
お次は熊野水軍の水軍小屋で、史実に基づいて復元されたものだという。
水軍小屋を抜けると、いよいよ洞内最奥部だ。
波が高いと、波が砕けるような様を観ることが出来る三段壁洞窟のハイライトと言っていい場所だろう。
地層に鉱物資源が含有されているからなのだろうか。
赤茶けた岩肌が迫力を感じる。
波が高い日なら狭い岸壁に思い切り波が打ち付けられて波が砕かれる圧巻の光景を見られるそうなのだが、あいにくこの日の海は大人しく、思っていたほどの迫力ではなかったのが少し残念だ。
海蝕洞の空洞部分に波が勢いよく入り込み、潮が吹いたようになるらしい。
しかし、先述のとおりこの日は波が弱いこともあり、あまり潮が吹いたような感じはしなかった。
これで洞窟内は一周できた。
思っていたよりも広くはないので、比較的短い時間で回ることが出来たように思う。
限られた範囲に見所がまとまっていたので物足りなさを感じる事はなく、疲れも感じなかったので、このくらいの所要時間がちょうどよいのだろう。
三段壁の見学を終えたところで、予定していた全ての行程が終了した。
結局、3日間いたるところで商業施設に入っては地酒を探し、あげく最後まで見つけられずに帰路につくという何ともしまらない終わり方になってしまった。
とはいえ、これで熊野三山全ての参拝が出来たし、有名な観光地である南紀白浜を堪能することも出来た。
総合的に判断すると非常に充実していた3日間だったと思っている。
むしろ、こういう失敗談じみた話の方が思い出に刻まれるし、人生を豊かにするのだ。