吹奏楽部(過酷なサバイバル)

今日は私と吹奏楽部について書きたいと思います。
吹奏楽部での行動を書きながら、私の今までの愚行を懺悔する場にさせてください。
自己紹介では吹奏楽はトラウマだといいましたが、私と吹奏楽は切っても切り離せない関係にあります
誰が読むねん!!ってくらい、超個人的な話(愚痴や暗い話も含みます)をつらつらと書き連ねているだけなので、お時間と心に余裕がある方だけどうぞ。

中学時代

あまりにも運動が出来ない上に、小学校6年生までピアノを習っていたため吹奏楽部に入ることを即決。当時テレビに出演されることが多かった武田真治さんを見て、「キラキラのサックスかっこいい!」という安易な考えでサックスを希望しました。しかし私の他に3人もサックスを希望してる人がいて、1人しか枠がなかったサックスはアピール合戦でピアノでジャズを弾いた子ですぐに埋まってしまいました。同様にピアノを弾いた私は、顧問に気に入られなかったようで「トランペットとクラリネット選ばしてやるよ」という高圧的な態度と共に、人生の分かれ道に立たされました。サックスになれなくて自暴自棄になっていた私は「じゃあクラリネットできいです」と、第5希望のファゴットでさえも落ちてしまった友達が聞いたら卒倒しそうな程の不貞腐れた態度で楽器を決めました。
私の他に同学年クラリネットの子は2人居て、先輩はバスクラ合わせて7人、何とも大所帯なパートに入ってしまった私は持ち前のコミュ障さを発揮してしまいました。全校生徒60人弱の小学校出身で、大規模なコミュニティに参加したことがなかった私は、部員数55人の吹奏楽部で上手くやっていけるはずがありませんでした。しかし、高圧的な先生と初めてやるクラリネットとたくさんの人間と接することの難しさに打ちひしがれたものの何とか3年間食らいついていきました。
中学3年生のコンクールが終わる頃には、目立ちたがりな性格が功を奏し、コンクールでソロを成功させるようなメンタル(今聞くと酷い演奏でしたが!!!)と、それなりの技術を身につけることが出来ました。しかし、人間関係の方はズタボロで、空気を読まない発言や感情が顔に出てしまうなどの悪癖で何人もの友達を傷つけてしまいました。もちろん吹奏楽部内の何人かとも不和がありました。そのうちの2人は同じ高校に進学すると確定していたので、私は吹奏楽部に入るか非常に迷うこととなりました。
今思うと本当に無駄な出費だったと思うんですが、両親と祖父母の後押しがあり、中学卒業を気にマイ楽器デビューをすることになります。そのため半自動的に高校でも吹奏楽をやることになりました。

高校時代①

地元でそこそこの進学校に入学して、大好きなクラリネットの先輩もいたので、(楽器を買ってもらっている以上逃げることも出来ないので)引き続き吹奏楽部に入りました。中学の2個上の先輩方の中で、とっても楽器が上手い方がこの高校に進学していたため、「私の中学=楽器が上手い」というレッテルがすでに貼られている状態でした。そんな中入部した私たちも例外ではなかったのですが……私以外の4人は凄く上手な子達で、中でもサックスの子(そうです、中学入学時にジャズを弾いたあの子です)はずば抜けて上手で、それに続いてユーフォ、バスクラ、ホルンの同輩も入学時点で先輩から高い評価を受けていました。一方私はというと、私はマイ楽器を持っている!私はこの中学出身!というプライドだけがニョキニョキと隆起してしまい、入部して2ヶ月後に行われたコンクールのオーディションでは敗北を喫してしまいました。もちろん私の中学校からの同輩は受かっていて、初心者と私ともう1人のクラリネットの同輩しか落ちていないオーディション結果を見て、そこで目が覚めました。親に結果を報告するや否や、楽器を買っているのになぜだ、と怒鳴られてしまい、プライドがズタボロになった私は初めて部活をズル休みしました。部活に行ったら経験者なのにオーディションに落ちたやつだ。と後ろ指をさされるんだ、という被害妄想が激しくなり、数日間学校も欠席してしまいます。
しかし、すぐに立ち直ることが出来ました。私には最強のモチベーションがありました。
それは部活の先輩です。入学時から前述した大好きなクラリネットの先輩を通して、他パートの先輩との交流を持てた私は、共通の漫画やアニメ、小説などの趣味を通して先輩と仲良くなることに成功していました。一時は不登校予備軍になりそうだった私も、先輩方が励ましてくれたおかげでケロッとした顔で部活に行き、コンクールに出れないながらも練習を積み重ねていきました。そして転機は訪れます。その時ちょうど、2個上の先輩が退部してしまい、コンクールメンバーにに2人欠員が出てしまいました。その穴を埋めるように私と同輩が選ばれ、晴れてコンクールの舞台に立てることになりました。
私と同輩は超大喜び、もちろん先輩も祝って下さって、いい気分で1年生のコンクールを終えることができました。

高校時代②

コンクールが終わり、3年生が引退。1、2年生が、主体になった部活では、あの「中学校からの同輩」達が猛威を振るうようになりました。サックスの子は副部長へ、ユーフォとバスクラの子は学生指揮へ。どちらも部活内で幹部と呼ばれる主要な位置につき、オーディションのあの一件からすっかり自分の楽器への興味を無くしてしまっていた私は「まあ仕事がなくてラッキー」という最低な考えをもっていました。それに加え同時期に矯正をはじめており、前歯2本、奥歯2本を抜いた穴を塞ぐゴムと装置をつけた状態で吹くことを余儀なくされていました。もちろん演奏面に多大な影響を及ぼしていて、今考えてもその時期がいちばん下手くそだったと思います。

時は流れて季節は春、2年生となり私には後輩が入ってきました。その間に私の友達が退部してしまい、この頃から私の脳内には「退部」の2文字がチラつくことになります。そしてなんとびっくり、私は1個上の先輩に恋をしていて、そのメンヘラ加減は周りを巻き込む大迷惑モンスターと化していました。(ちなみに秒速で失恋しました)そんな状態でまともに部活が出来るわけなく、その頃から同輩達と不穏な空気が流れ始めます。
そのまま迎えた8月のコンクール。凄く練習熱心な先輩たちと仲間に後押しされ、私も………という訳ではなく、私はメンタルの不調が続き、部活を欠席することが多くなります。そしてそれにつられて学校の欠席も多くなり、1学期終了時点で単位が危ない教科がある程でした。まあなんとかなるっしょ、という半端な気持ちで迎えた当日は矯正器具が凄く痛み、カロナールのオーバードーズで何とか乗り越えました。しかし結果はダメ金。熱心だった先輩や同輩、ましてや後輩までも涙を流す人がいる中で、もらい泣きをしてしまったのですが、どこか心の中で本気で悔しがれない自分がいました。「まあ来年もあるし……」なんて先輩の前では口が裂けても言えない言葉を封じ込め、コンクールが終わった先輩方を見送りました。これが人生最後のコンクールになるとも知らずに。
ちなみに当時のコンクール曲はこちら

これの第一楽章、第三楽章、第四楽章をそれぞれカットしたやつです

高校時代③

先輩が引退し部活の権力を掌握できるようになりました。しかしクラリネットパートリーダーの座には同輩が座り、他の重要な役職にみんなが就いていく中で取り残されてしまった毒状態。何を思ったか音楽理論の勉強を始めました。しかし、コンクール時期の欠席、誰も手をつけられないメンヘラモンスター時期で反感をかい、私と同学年の部員との間には大きな溝がありました。そんな中空気が読めない私は音楽理論を勉強していることを周りに自慢げに言いふらし幹部の人や、パートリーダー達の気分を害してしまいました。そんな行動をずっと続けていると、1人の裏垢で私の音楽理論を学ぶ行動や、人に音楽面でアドバイスしている行動が目に余るという旨の内容の文章が投稿されていることを偶然発見してしまいます。今考えるとそこでやめて見て見ぬフリをしておいたらよかったのに、好奇心に負け私はその裏垢の投稿を遡ってしまいました。そこには、該当者が分かる部員への悪口や、教員への悪口と共に「毒状態が今部活で1番やめて欲しい」という投稿がありました。私の頭は真っ白になり李徴よろしく虎になって夜中家を駆け出そうとしました。その上同時期に喧嘩してしまった人(吹奏楽部ではない)にも「吹奏楽部全員が毒状態が居ることで迷惑してる」という捨て台詞を吐かれ、私のメンタルは崩壊まっしぐらでした。今書き出してみると私自身に目に余る行為が多すぎたので、言われてもしょうがないと思いますが、当時の私にとってこれはちくちく言葉を通り越して地雷言葉、いや劇薬言葉くらいでした。しかし劇薬言葉を言われたことにより、楽器も下手くそで、周りに迷惑をかけていて、でも音楽面で変に出しゃばってくるやつのどこがいいんだ。と腑に落ちてしまいました。私が部活に行くと皆が迷惑をしてしまう、皆に迷惑をかけたくない、思い込むようになり、欠席日数を増やしてしまいました。同時にその頃から食べ物を拒む日と過食になる日が交互に重なり、仕方なく出席してお弁当を食べても学校のトイレで全部吐き出してしまったり、逆に父親の分の夕飯も食べてしまうなど、最悪な食生活を続けました。最悪な食生活は最悪なホルモンバランスを呼び、最悪なホルモンバランスは最悪なメンタルを呼び、私の精神は崩壊寸前でした。そして同時期に自傷行為にも走ってしまい、吐き癖と元々癖だったリストカットとアームカットにより身体も見るも無惨な姿になっていきました。しかし登校しなければ卒業出来ないので、欠席日数を多少大目に見てくれる病院からの診断書を持っていなかった私は(今思うと何かしらの病を患っていた可能性はありますが)最悪でも週に3度登校していました。クラスメイトと担任のおかげで、授業は良かったものの部活に行くと冷や汗と胃腸が大暴れしてしまいました。そこで私は一念発起して退部をパートリーダーと同輩に伝えます。ですが、傍から見たらただのメンヘラモンスターが暴れているだけです、狼少年が誰にも信じて貰えないように、当時の私も同じように退部を却下されました。それにより私のメンタルは完全に崩壊してしまいました。度重なる嘔吐と過食により体重はsin4θのグラフくらい上下し、生理は完全半年間ストップ。しかし口だけは元気なので私の頭が喋っているのではなく、私の“口”がそのまま意志を持ち話しているよう感覚で、暗黒の2学期を乗り越えました。同時期に医者に「甲状腺異常」と診断されます。お時間ある方は是非調べて欲しいのですが、私は将来“もしかしたら橋本病”になるかも、という人です。千年に一度の美女ではありません。また、貧血が多くなりこの頃から家や電車で倒れているところを何度か発見されています。

高校時代③

話を吹奏楽に戻しましょう。
部活ではアンサンブルの話が出てました。私の学年にはバスクラが居たので、私、クラリネット同輩、バスクラ同輩、後輩で出よう。という話が出ます。しかし私はこれに反対します。いくら2年生といってもほぼ部活に出ていないので楽器は後輩より下手くそ、なにより安定して練習に出席できるわけでは無いので、私は強く反対しました。ですが結局色々丸め込まれて出ることになります。

曲はこちら。聞いてみると分かるのですが、クラリネットアンサンブル特有の異様に2番と3番だけ難しいパートがあるやつです。
私は自分から希望して2番へ、アルペジオを20小節くらいやってたり2番だけ動きがあったり大変でしたが、メンバーがとても上手で校内選考を見事勝ち抜き地区大会も金賞。中学では校内選考で落ち、高校では出たことがなかったので、私にとってとても良い経験となりました。これを機に心の中に「なんかやってやったぞ感」が出てきて、「もう私はここでいいかな」と吹奏楽と向き合うのはもういいかな、もう終わってもいいかな。と思い始めるようになりました。
その事を同輩2人に伝えると、「定期演奏会まではやろう」と、来春の5月にあるそれまでやることを提案されました。私は悩みに悩んだものの、定期演奏会の仕事はもう始まっていて私の請け負う仕事も大量にあったので、それを了承しました。

高校時代④

アンサンブルが終わってからはまた学校に行きにくくなり、2年生が終わる3月には残り1回休んでたら留年というギリギリセーフ、いやアウト?の立ち位置で進級しました。
無事(?)進級して、3年生になった今では割と頑張って登校しています。

そして行われた私の引退イベントである定期演奏会、私は少しパソコンが使えたのでそれ関連の仕事をやったり、演出を考えたりしていました。
そんな私の最後の思い出の曲はこちら

吹奏楽を少しかじったことある方ならご存知の方も多いのではないでしょうか?コンクールの自由曲といえば!の曲ですよね。特徴的なクラリネットのソロパートがあり、この曲が選ばれた時に自分から立候補してソロを吹くことになりました。

結果、演出や演奏面もなんやかんやありましたが上手く行き、定期演奏会は成功に終わりました。それと同時に、私はコンクールに出ることなく吹奏楽部を引退することにしました。引退式の際に後輩が泣いていて、こんな先輩にも泣いてくれる後輩がいるんだなぁとしみじみと思いました。

おわりに

吹奏楽部を完走した感想ですが、少なくとも私には吹奏楽部は合ってなかったなと感じました。もちろん、吹奏楽部に入ってないと会えなかった人はたくさんいますが、それ以上に1つの目標に向かって努力する力の無さと、大人数の女子(+‪α‬で極小数の男子)の中のコミュニティで生きていくことはとてもじゃないけど出来ないなと感じました。でも同時に、過酷な状況で生き抜くコツも掴むことが出来ました。
もしこれから吹奏楽部に入ろうか迷っている人は、よくよく考えて、たくさん体験入部に行って、雰囲気を見てからでも遅くないと思います。
以上、私と吹奏楽でした!!!

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