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我武者羅
「本気と書いてマジと読む」「夜露死苦」はたまた「聖飢魔II」的な?
隣で走っていた車の後ろのガラスに、毛筆のステッカーを見てそう思った。真っ黒の軽自動車。
ちらっと運転している子の指先が見えた。
爪がキラキラな女の子が二人乗っていた。
今どきの若者、しかも女の子が好んで貼るような文字なのかと、ちょっと意外だった。でもいい言葉だなって単純に思う。ちゃんとこんな当て字があるんですね。
最近、我武者羅してますか?
***
noteを初めて今日で3ヶ月が経ちました。
ある意味、我武者羅に文章を書いている。
こんなに考えて文章を書いたことすらなかったのに、自分どうした?
と思いながら。
日記でも書こうと思ったくらいの軽い軽いタンポポの綿毛のような気持ちで、ふわふわとたどり着いただけだった。
でもねー、反応があるとうれしいんですよね。
何者でもない人が、なんでもないことを言ってても、誰かが聞いてくれるんです。これってすんごい事だと思ったワケです。
反応があると、おもしろいじゃん!と。
でも何回かつまずきましたけどね。
その都度、救世主みたいにいろいろ繋がって、ここまで来ました。
これは本当に感謝しかありません。
しかも記事もほぼ読み放題。
いろんな世界が垣間見えてしまうのです。
さまざまな人のさまざまな人生があって、スキの意味、フォローの意味、コメントの楽しさ、人それぞれにいろんな意図があって、表現してて。
それでいいと、私も思う。
やりたいようにやればね。
おかげさまで、今はそう思えるようになりました。
note公式さんも言ってるし。「だれもが創作を楽しんで続けられるよう、安心できる雰囲気や、多様性を大切にしています。」そのまんまでした。
***
そしてついに今日から、ルーシーダットンの教室が始まり、先生がとてもいい事を言っていたので、忘れないようにここに書いておきます。
この先生は「世界一カラダの硬いインストラクター」というキャッチコピーで活動していて、ヨガを習っていた時のお話をされていました。
それは全員が全く同じポーズはできないという事。
骨の形や組み合わせ、関節の動き、体の大きさ、腕の長さ、脚の長さ、全てが違うので全く同じにはならないのだそうです。
「だから、隣の人が自分より体が柔らかくても、気にしないでください。隣の人と比べなくていいです。自分が一番気持ちの良いところを感じてください。なんなら教室に来たけど眠いなら、寝ててもいいです。」
とりあえず、自分の声を聞け。ということでしょうか。
しばらく見ないとnoteはどんどん記事で埋もれていきます。
最初はついて行こうと左から右へと焦って読んでいたけど、今は川の流れのように、ゆるやかに眺めることができるようになったな、と思う。
そんなにすぐに文章は上達しないよねって、吹っ切れたのもある。
脳内を言葉であぶり出して、なにかしらのスパイスで味付けをして、読んでもらって(=味わってもらって)、後味や余韻を少しでも残せたら本望です。
ここぞという時には我武者羅も必要だけど、今は我を忘れず、ひた向きに進んで行きたい。
みんな違って、みんな良いのだ。
我武者羅ではないお話しでした。
「あわてない あわてない ひと休み ひと休み」
焦れば焦るほど良いことはないですね。
こんな時は、一休さんです。
こんなんですが
これからもよろしくお願いします!
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