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これは、れいわ新選組 [古山唯問題]と言わざるを得ない…批判することへの意味とは

これまで、ふるやま市議を批判をすると
第三者から「あの人はがんばっているから」「まわりが支えて行ってやらないと」などと言われることがあった。

たしかにこれも一つの考え方ではあるが、
ある意味では相当に残酷な事である。
そこに気が付いて欲しい。

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批判というものは、こういう事らしい
検索してみた

「批判」は、「ものごとの真偽や可否を検討して、それに対する判定を下す」という意味であるため、「他人の言動に対し、その誤りや欠点を指摘し、正すよう求めること」といった解釈になる。 必ずしも人を責めるニュアンスは含まない。

「非難」の定義「非難」とは、他人の欠点や犯した過ちを指摘し、責めることを指す。

そう。批判は改善を求めるポジティブな意味合いにもなる。
ただよほど気を配らないと、
知らず知らず「非難寄り」になるになる事もあり、
また、敢えて非難的な意味合いも含ませる場合もある。
それは個人個人の想いや、話し合いの条件や、環境にもよるかな。

そして筆者が批判できる権利は
「市民」だから。それが理由。
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話しを戻して

「がんばっているから」という、お身内から出た言葉は
一見、努力を認めているように見えるが、非常に表面的であり
直面する問題を先送りにしているような評価としか思えないのだ。

シンプルに言うと「甘やかしてどうなる?」となる

その結果、ふるやま市議はモンスター化(※)したのである。
もしかしたら、そうならない結果もあったのかもしれない。
手遅れとなった。


果たして「甘やかして支えた人たち」はどんな思いでいるのか、
そしてどう説明し、どう責任を取り、どう進んで行くのか


明日、きっちりやりとりしてこようと思う。
本当は沢山の市民の参加を望んでいるのだが、
たぶん用意される座席は20脚程度。
いつもちょうどそれに収まってしまうのだ。嘆かわしい。

※モンスター化
政治手腕の事ではない。
人の道から外れた行為を示す。
これについては、一定の時期が来たら公表する予定としている。

今回はこれまで。

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