見出し画像

はじめまして、一条果凜と申します。

今の仕事とは、まったく関係ない裏プロフィールです。

こんなスットコドッコイでも、幸せに生きられるんだよ、ということで、みなさまの自己肯定感アップのお役にたてればと考えております。



*働きマンから生まれた娘

「あ〜、ポンジュースの!!」と、
なぜか愛媛県によく間違えられる愛知県の片田舎に、やけに頭の形の悪い娘が誕生。


そのあまりにも長い頭を見た父は 「この子がうちの子じゃなきゃいいのに」と祈ったそうな。(今は普通サイズです)


過労で4度も救急車に乗ってしまうほど仕事にのめり込むこの娘(果凜)の母は、妊娠9ヶ月までがんがんに働くファッションデザイナー。
遺伝っておもしろい、を実感。


*エロキッズ時代

5歳で色っぽさのピークを迎えた娘は、
男性陣のエロい視線を肌で感じつつ、 そこを刺激するのが大好きでありました。

郵便屋さん、近所の男の子…
殿方が訪ねてくると、玄関までわざと下着で出ていってみたり。

ベランダに男性がいることを確認して、
わざと少しだけカーテンを開けて着替えをしてみたり。

危ないっしょ!!マジで(^^;
小2くらいまでは、とにかくエロいイタズラが大好きな子どもでありました。


*薄幸ブーム到来

小学4年。
薄幸ブームに突入した娘は、ひとり押入れにこもり、家族に呪いをかけてみたり。
鏡台の前に座り、派手なピンクの紅を引き、手首にカミソリをあててみたり。

「わたしって、なんて不幸な女…」
と打ちひしがれつつ、
むしろ両親が事故で他界とか、離婚して片親とか、
わかりやすく不幸なシチュエーションならもっとよかったのに、
とアホなことばかり考える小学生でありました。


*年間休日3日でテニス三昧

中学に入り、強豪テニス部に意地で入部。
“意地で”と書いたのは、人気だったテニス部には定員があり、
最初はあぶれてしまったから。

放課後のしつこい直談版でぶじ入部。
運動は得意ではなかったが、むっちゃ練習してレギュラー選手となる。

正月の3連休以外はほぼ毎日練習(だったと記憶)。

1年中日焼けで真っ黒だったので「カラス」「アフリカ人」と呼ばれたことも(^^;


とにかく、ハマるとまっしぐら!!
それは今も変わらないかな?


*オオカミ少女級の放任主義

父親は「放任主義で育てた」と自慢気に話しますが、
母親に言わせれば「どう扱ったらいいのかわからん」若干めんどうな娘だったらしく、
分裂家族ぎみだったこともあり、
幸か不幸か勉強はもちろん何も強要されず、スーパーフリーダムに育つ。

「朝起きたら顔を洗うのね」と、高校生になるまで知らなかったって
けっこうスゴイ(笑


「高校どこにする〜」という友人たちの会話で、
はじめて「えっ、高校受験ってなに?」と驚いた中3の夏。

しかしなぜか野生の勘だけはよかったため、テストの点数を稼ぐことはできたようで、
無事第一志望の高校へ。


*プチ不良少女と呼ばれて

田んぼの真中にある田舎の真面目な進学校に入学し、
憧れだった演劇部に所属。
しかしその演劇部は、先輩たちのヤンチャのお陰で入った途端にすぐ廃部。

そこで出会った演劇少女が
同級生のおマセな美人さんで。
彼女から夜遊びを教わる。

年齢を偽り、ディスコ(時代を感じる…)やバーをハシゴする高校1年生。
授業の新しいサボり方やら、遅刻した時の校門のうまい抜け方やら、
体育祭応援団のダンスの振付やら、勉強とは関係ないところで才能を発揮。

勉強をまったくせずに迎えた高校3年生。
受験の相談にて、「演劇の専門学校に行きたい」と告げると、周囲の猛反対にあう。

しぶしぶ受験。
しかし受験に失敗すると「浪人してもお前は勉強しないから」と、
進学校らしからぬ指導を担任から受け、素直に聞く。


*歌舞伎町の女

いろいろあって文化服装学院に入学し、上京。

やっぱり夜遊び。
毎夜毎夜、歌舞伎町へ。
あっという間に、学校は中退。

そして新潟出身の女たらしに恋をする。
4年間、別れたりくっついたりを繰り返す間に、
浮気という単語を覚える。

その後、19歳でディスコを卒業し、お水のバイトにハマる。
お酒はタダで飲めるし、楽だし、時給いいし、歌舞伎町でお店を転々とする。
その間に、危ないお兄さまとお付き合いしてみたり、
20歳のときにそのお兄さまから◎◎◎◎◎(やっぱここは伏せておきます)とプロポーズを受けてしまったり^^;

ストーカー被害にあったり、
おまわりさんを何度か呼んだり、
それなりにスリリングな数年間を過ごし、
お店を歌舞伎町から家の近所のスナックに移す。
そこで出会ったお客様と真剣交際。
結婚のお話が進み、ようやくお水の世界から足を洗う。


*女優になります?! 

そのお水のバイト時代に、2年間だけ劇団員も経験。
で、お笑い?女優を目指す。
(いちおう、人気劇団のオーディションでそれなりの倍率から合格)

小学校1年のころ学芸会で森の妖精さんを演じたころから
ずっと「わたくしは女優になるの」と
ヒソカな夢をむねに秘めてきた女優志望としては、ようやくたどり着いた夢のスタート地点。

…だったはずが、挫折。

演劇も諦め、お水のバイトもやめ、
したいんだかしたくないんだかわからない結婚に向けて走りはじめていたころ、
劇団時代の友人が、カナダに男を追いかけるために、
バイトの代打が必要になり
小さなCM制作会社に送り込まれる。


*「コピーライターってなんだ?」

CM制作会社での仕事は、電話番。
「就職」とか「向上心」という単語が辞書になかったフリーターは、
毎日ヒマでしょうがない電話番という仕事がぜんぜん苦じゃなかった。

だって、隣の経理のおっちゃんも暇そうで
いつも楽しくお話をしていたし、
おっちゃんが仕事をしたいときは「ちょっと外で遊んできて」と
お暇をいただける幸せなバイトだったから。

しかしそんな幸せな日々は長くは続かないもので
「雇う金がなくなった」と、 突然の解雇を言い渡される。

が、辞めるアルバイターのために
「次できっと活かせるから」と、 PC操作の講師をよんでくださった。

なんて優しい会社だ(T_T)

辞めるまでの1ヶ月、毎日キーボード操作の練習をさせられた。
…いや、させていただいた。

「やってるかぁ」と、みんなが覗きにくるので、
みなさまに読んでいただくための日記を書く。
そんなアルバイターの文章を読み
「コピーライターにでもなれば」と、
言い放ったCMプランナーさんの言葉が大ヒット。

何をする仕事かはよくわからずに「コピーライター」という求人を探す。


*これって就職?

ある求人誌で、
「コピーライター養成講座」というキャッチフレーズの求人を発見。


仕事紹介の小冊子をいただくだけのつもりで、その企業に足を運ぶ。
大勢の人間が会議室に集められていた。
ビデオを見せられ、SPIを受けされられ、面接まで! (小冊子配るだけやなかったんかい!?)

かなりのイライラMAX状態で面接。

面接官「履歴書は?」

私「持ってません(イライラ)」


面接官「営業アシスタントとか、○○アシスタントとかいろんな仕事がありますが・・・」

私:「営業?イヤです! “アシスタント”と名がつく仕事しかないなら採っていただかなくて結構です」

超上から目線で受けたこの会社は、リクルートというそこそこ人気の企業だった^^;

「制作」という職種の二次面接後で作文を書く。
長文はめんどくさい、と思ったので
できるだけ会話形式で改行を増やし、最後の1枚には絵を描いて…、
与えられた時間よりちょっと早めに会場を出る。

「落ちたな」と思って帰宅するが、ありがたく合格。
週5のバイトのつもりで働くが
2年後くらいに「これは就職だったのか」と気づく。


*井の中の蛙ちゃん

メーカーと商社の違いがわからない。

そんなスーパーおバカちゃんのままリクルートに入ってしまった奇跡!

時給ならわかるけど月給16万円が安いか高いかわからない。
そんな女の配属がHR(人材採用系のお仕事をする部署)ってのも、スゴイ。

しかしそれが功を奏してみたりして。
「演劇と時給」にしか興味がないまま生きてきた女には、すべてが新鮮!

仕事はおもしろくて仕方がなかった。

日曜夜はウキウキ度マックス。 「お休みが終わる〜♪」

好きで働く野生児ほど強いものはないようで、
部署内の「なんちゃら新人賞」からはじまり、
ほぼ4年間、大なり小なり毎月表彰状やらトロフィーやらをいただき、
ちょっと勘違いしていたかも?な時代。

営業マンを会議室に呼び出して、お説教して泣かしたり

(何人か泣かしました)
…若気の至りってコワイ。


*リクルート辞めます事件

リクルートさんのお仕事で、某建築事務所さんへ取材に。
女性をターゲットにしたカフェをはじめたい、
業態開発から任せたい、とのこと。

無事にいい採用ができた、とのことでヒヤリングに伺うと
「でも一番欲しいのは一条さんのような人だ」と、お誘いを受ける。

それも面白いかな、と
当時の上司に事情を話し「転職したい」と告げると、「ちょっと待て」と。

リクルートに在籍したまま、業態開発の仕事も手伝えばいい、
というありがたき待遇をご用意いただけて、いそいそと建築事務所へ通う日々。

カフェオープンまでのゴタゴタやら、
取材の話と実際のギャップやらを目の当たりにする。
これもいい経験。

あの時「ちょっと待て」と言ってくださった上司さまには感謝しかありません。


*情熱の泉に異変

仕事が楽しくて仕方がなくて、情熱を注ぎまくっていた4年間。

歯車が狂い始めたのは、ホントにささいなきっかけ。

「こいつはイケる!傑作!」と思った超自信作が、
とある賞レースに落っこちた。(なんて、つまらん理由なのだ)

ここで急に、
あんなにも楽しくて楽しくてしょうがなくて、いつも溢れまくっていた「情熱の泉」が枯れ始める。


「仕事がつまんない!!」

そんなとき、
某巨匠コピーライターを呼んでの勉強会で
巨匠に褒めちぎっていただく!

「ほーれ、私の感覚のほうがあっとるわい。
こんな会社、辞めたるぅ」


・・・なんてことは誰に言えず。
心は揺れる、揺れる。


けれど、リクルートという補助輪をはずせないまま過ごす。

数年後、二度目の「辞めます事件」を経て、
リクルートとは「雇用」ではなく「契約」という関係になり、
気づいたら個人事業主に。

その後、飲んで仲良くなった人たちからいただく
ありがたい仕事を増やしていく。

が、やっぱり半分はリクルートさんから業務をいただく補助輪走行。

ついに、情熱の泉は、カラッカラに。


*ゆでガエル注意報


フリーになってもリクルート補助輪つけたままだったのは
ぶっちゃけ「収入の安定」。


一般の広告に比べたら規模は小さいけれど、
クライアントが大手となるとディレクション料金はそれなりのカサになる。
しかも、営業ゼロで仕事はやってくる。

こんなぬるま湯にいたらゆでガエルになっちゃいますな(^^;

恐ろしい…。


*ありがとう、さようなら。


リクルート時代に身につけられたことは本当にたくさんある。

取材スキル。

ライティングスキル。

超大手な社長もどんと来い、な度胸。

広告のディレクションスキル&段取り力。

もう少し具体的に、制作経験で言えば・・・

ホームページ、ポスター、パンフレット、
会社説明会や内定者イベント(などの設計)、
キャラクター(立体でも平面でも)、
ムービー(インタビューでもVコンでも)、
Tシャツなどグッズ類…。

本当にリクルートさんには感謝だ。
感謝だけど、さよならだ。

学ばせていただいたスキルをもとにもっと自分らしいやり方で、
世の中に貢献させていただきます!


つづく

おまけ(一条果凜の略歴)



あるオンラインミーティングにてお話させていただいた際の資料です。


今のお仕事については、ぜひこちらの記事を(世界と日本を繋ぐイノベーションプロバイダー
 John Kojiro Moriwaka先生にインタビューしていただきました)
↓↓↓
https://finders.me/articles.php?id=2933





いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集