なんとなくタイピングをしたくなったので。

内容に特に意味はないようです(えっ)
本当に意味はないのでこれを見ただけで私が死にそうとかそういう心配はしないように。
自分好みに改変しまくったAZIKの設定が便利すぎて、意味もなく文章を綴りたくなるのに、残念なことに文才がないせいでSSとかが書けないの、とても辛い。
<s>あとこれに慣れたおかげでかなりのタイピング速度を手に入れたんだけど、なかなかそれを発揮できるようなタイピングテストとかがないのめんどくさい。そしてAndroid版のGoogle日本語入力(去年で更新が止まってる)もローマ字テーブルの編集対応して欲しい。</s>
強引に一文にしてるからすごい読みづらいし、意味も通ってないし、本当に怪文書でしかない感じなので読むときは各自それなりの覚悟をしておいてくださいな。

私が私であるということは、いつまでも私の中に紛れもない事実として存在していて、それでも本当は嘘なんじゃないかといつも不安になってしまって、一体私の自己はどこにあって、何の為に生きて何の為に死に近づいていくのか、そんなありきたりな疑問をただ想起させるだけ想起させて、結局何も教えてはくれないし、他に何かをしてくれているわけでもなく、ただただ私の桎以外の何者でもないんだから、そろそろ私の頭から離れていって欲しいのに、どうしても離れて行ってはくれなくて、自分から去って行こうとしても絶対に後ろをストーカーのようについてきて、どうしても離れることが出来なくて、もしかしてこれこそが私の実態なんじゃないかと思い始めても答えは見えなくて、でも答えを見つけたら死んでしまいそうな不思議な感覚に捉われるのに、どういうわけかこの事実と一緒にこれからを歩んで行くのも悪くないんじゃないか、そんな気持ちも生まれてきて、なんなんだろう、この事実は私の中にあって私自身で、しかも私の中ではなく外にいて私を包み込んでくるような感覚さえあるのに、絶対に私に良い顔を向けてはくれなくて、ただ私を落ちるところまで落としていって、でも最後の最後に手を伸ばしてきて、そのせいで最期の一歩を踏み出すことが出来なくて、気がついたら私はこんなところまでやってきているのに、きっと誰も気づいてくれてなんかいなくて、きっと私のことを他の人達と同じ、ただの普通の一般人だとでも思っているような気がするけど、逆にそういう普通の一般人だって私みたいに自分が自分であるという事実を桎にされて生きているのかもしれない、そんな気持ちすら生まれてきて、それはつまり私の自己そのものである私が私であるという事実との興味深い関係は私の自己ではないということを示す紛れもない証拠となってしまうのだから、意地でもそんなことを信じるわけにもいかず、そうしているうちに私はもっともっと落とされて、底なし沼の底を見せられて、仕方なく横に穴を掘り進めて沼から抜け出して下に落ちないようにしようとするしかなくなって、でもこの粘性の低い泥沼では横に進むことさえ許されなくて、藻掻き苦しむ度に助けを求める叫びを聞いてくれるかもしれない人が待っているかもしれない地上からどんどん遠ざかって、ああ、私ってこんなもんだったんだな、なんて、何もわかっていないのに仕方なく諦めた風を装うことしか出来なくさせて、一体私はどうすればいいのかわからなくさせて、そうやっていつまでも私を苦しめ続けていくの。