人生における無限の可能性と多様性の時代

我々は無限の可能性を持って生まれる

しかし生きていく過程で何かを選択せずにいることはできない

我々は常に一つの可能性しか選べず、選べなかったほかの全ての可能性の大きさに押しつぶされる

日々を生きていく中で強くそのことを実感することはないが、それが明確に体現する瞬間、例えば受験や就職のタイミングなどが訪れると悩み苦しみ、こんなことを考えなくてよかった子供のころに戻りたいと願うのだ

日本の2017年度の若者の自殺者のうち、最も多い原因は進路についての悩みからであるらしい

自身のこれまでの努力不足による希望進路の挫折もまた、過去の選択によって現れる結果であり、潰えた可能性に絶望してしまうのだろう

人生を生きるのは、ものすごいスピードで無限の可能性を潰していく作業でもあるのだ

現代は多様性の時代で、かつてなんの疑問もなく選び続けられたレールが崩壊した、自由に生きられる時代なのだと言われる

確かにレールはなくなった

しかしかわりにあらわれたのは、人生には無限の可能性があり、どれを選んだとしても、そのどれもが唯一の正しさを与えてくれず、選べなかった全ての可能性の可能性に思いをはせてしまう現実だ

無限の可能性と直面することになったのが多様性の時代の本質だ

ここ最近はユーチューバーの「好きなことで生きていく」という生き方がもてはやされる

それは裏を返せば、だれも選択の正しさを認めてくれない時代になった以上、その役は、もはや自身の快楽だけがになうものとなってしまったことを意味している

だが金を稼ぐ方法が好きかどうかがそこまで大きいことなのか、嫌いなことで生きていたら幸せになれないのかを考えるべきだろう

1番よくないのは今の仕事が特別好きでもないのに、仕事は好きじゃなきゃいけないのだという上記の洗脳によって自分は仕事が好きなんだと思い込もうとすることなのではないか

まとめのようなもの

結局なにが言いたいかというと、正しい選択肢がなくなった以上、私はもっと自分の可能性を諦めて、肩の力をぬいた生き方をしたいということだ

いい会社に入れなかった、仕事が好きなことじゃなかった、かわいい彼女ができなかった、お金持ちになれなかった、それは現れた一つの結果でしかない

その結果がどんなに悪いと思えても、それは可能性の一つだった

手に入れられなかったものを手に入れられなかったと同時に、別の何かは手に入れられていることに、そのことに満足するぐらいには人生を諦めたい

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