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まず…生きてみる。 ことばは大事
まず書いてみることにする。
つれづれなるままに。
やがて言いたいことが見つかる。
書きたいことはこれだったのかと気付く。
人はまず生きてみる。
そのうち生きる意味が見つかる。
それがいつかは分からないけれど。
分からないまま楽しく一生を終える人もいれば、そのことで悩み苦しんだ末に疲れ果て、生きる気力も失せ、考えることすら放棄し、自分の歳も居住地もわからなくなり何処かをさまよう人もいる。
するとピンポンパンポーンとどこかの街のスピーカーで行方不明者の安否情報を問う放送が聞こえて来たりする。
貧乏人も金持ちも、相続や税金で悩む人も借金債務を気に病む人も、ほとんどの人はそれなりの年齢になると、自分のゴールがどこを選ぶかを迫られる。
なかなか納得できる答えは無い。
いや、墓の話ではない。
生きるために悩み果てしないのです。
永遠に生き続けるかもしれないし。
だから必死に考えるのです。
カラ回り堂々めぐりの大スベリ、、てか。
そして難民となる。
やむを得ずふるさとや帰るべき家を失った人はみな難民と言える。
心もいつしか暗い海をただよう漂流者となり難民の仲間入り。
で、世界、地球上は難民(ホームレス)であふれかえることになる。
国やふるさとを捨て新天地に移住したり、無謀で粗野な政治家や無慈悲な戦争から逃れ、数年間豪華客船で世界巡りのうらやましい高級ホテル並みの暮らしができる人もいる。でも極々わずか。タイタニック沈没ってこともあるからお気を付けてと悪態ついて送り出すけどね。
これも難民?
素直に誠実にまじめに一所懸命に、家族や隣人にできるだけ優しく生きようとする人がとかく「難民」になる。
皆、波間を漂う粗末な筏に身を寄せ合って蜃気楼の島影に目を凝らす。さてさてどうしたものか。
だからボクは今日も街に出る。
♪幸せって何だっけなんだっけ♪、と唄いながら街を歩いてみる。そして行き交う人にコンニチハと声掛ける。できるだけ微笑みながら。
そして、聴こえたよと手を振ってくれたらそっとそばに寄って囁いてみる。
「幸せは自分ひとりでそっと探すのさ」と。