心をキレイにする「ギブ」っていう魔法
人に与える。人から貰う。「give&take」って言われる関係性。自分の人生において、その比率、どのくらい?
・「ギブ」って身に付いてる?
・趣味「安産祈願」
・今から始める「ギブ生活」
「ギブ」って身に付いてる?
僕は読書が趣味。本屋に行くと「これでもか!」ってくらい欲しい本がある。癒しの場、温泉なんかよりも落ち着くし気持ちが良い。
さいきんよく読む自初伝みたいな、ま、自己啓発みたいな内容の本って実は書いてある内容がほぼ一緒。つまり、何度も何度も成功者の成功した理由を読んでいるってこと。
その中で、成功する秘訣として書いてあるけど僕自身は苦手としている分野がある。それが「与えること」。ギブアンドテイクの「ギブ」の部分。
誰かのために何かをする。誰かのために自分を犠牲にする。誰かのために身を削る。
うん、ホントに苦手。出来てる気がしない。そして、事実”出来ていない”。
王様体質、殿様体質とでもいうのか、どうしても自分の事が優先される。
別に誰かによくしたくないわけじゃない。自分に出来ることがあるのであればもちろんやりたいしやってあげたい。
そういった気持ちはあるのにどうにもこうにも動きに出ないのは、ホントは大してやりたいと思ってないってことなのかもしれない。
趣味「安産祈願」
こんな僕でも実はひとつだけ好きな「ギブ」がある。
それは「安産祈願を渡すこと」。
出産を控えた女性は楽しみと同時に不安も持ち合わせているように僕は勝手に思っている。その不安を少しでも薄めることが出来るのが”神頼み”だと思う。
何かあれば「お願いします。神様」っていうのは定番中の定番。受験生が寒い冬に神社に群がるのは良い例。
安産祈願を買って渡したときの女性はみんな心から「ありがとう!」って気持ちで受け取ってくれているように僕は感じている。そして、その瞬間の「喜んでもらえた!」っていう自分の気持ちは本物。誰かのためになってる、自分は今、彼女の人生に少しだけクレジットされたって思える。
安産祈願を初めて買ったのは3年前。当時のアルバイトメンバーが妊娠をきっかけに退社をする際に多々揉めて、その揉めた空気を和ますために買ってきて渡した。
そして、近くの神社では買わずに札幌で一番大きな神社までわざわざ行って買ってきた。
この「わざわざ」感を演出しようとしてる自分は全然嫌いだけど、結果喜んでもらえたことに関しては素直に嬉しかった。
この件が僕の中での「安産祈願」を買いに行くっていう行動を好きにさせた。ま、ひとり神社で賽銭を投げて日々の平穏を願いに行くっていうのも目的ではあるんだけど。
今から始める「ギブ生活」
きょうのnoteを執筆している最中、ホントついさっき、14時45分くらい。営業前のエレベーターが開いた。
「すいませーん」って男女の声。日曜日だし業者さんではない。お客様?
パソコンをほったらかしにして、脱いでた靴を履いて顔を出したら常連のご夫婦がそこにいた。
生まれて1ヶ月のお子さんを抱いて。
「無事、安産でした。本当にありがとうございました!」
ってわざわざ顔を出してくれた。お返しの高級菓子までくれた。
ただのバーの店長とお客様という関係なのに。いや、「ただの」って言ったら相手様に失礼か。そしてこの関係の橋を造ったのは紛れもなく自分だ。
安産祈願を渡した僕へのふたりからの”お返し”は渡したときの「ありがとうございます!」で既にいただいている。今回の訪問で僕は恩を”ひとつ多く”ふたりからいただいたことになる。
必ず返す。こんなに素敵な気持ちにされてもらったんだから。倍返しどころか十倍返しにでもして。
「与えると返ってくる」
その「返ってくる」はホントに人並な言葉だけど、
すごく嬉しい。
どうして今まで与えてこなかったんだろう・・・。
人生を結構な量、無駄にしてきた気がする。
与える人間になろう。
そんな日曜の昼下がり。素敵な時間をありがとうございました。
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