普通はそこを切り取らない
世界史が苦手だったのは、感情が見えなかったからだ。年号の暗記。出来事の記憶。その順序と因果関係の把握。もちろん裏側に国家の存続や人々の生死をかけたドラマがあることは、たとえ高校生であっても想像に難くないことなのだけど、世界史を受験のための暗記教科としてしか認識していなかった当時の自分には、そういうふうにしか見えていなかった。
そんな世界史の中で唯一強烈に記憶していた出来事があって、それが「憤死」だった。誰がいつ、どんないきさつで憤死したかまでは覚えていない。たしか15世紀ごろの宗教改革の流れだったと思う。今回調べてみるまでは、火炙りにされるフスの挿絵がこれまた強烈だったので、憤死したのは「フス」だと思っていた。違った。憤死したのはボニファティウス8世だった。そういうディテールがどうでもよくなるぐらい(どうでもよくはないし、ディテールでもないかもだけど)、死に至る原因としての「憤死」という概念だけが脳に焼き付いていた。憤って、死ぬ。そこまでの怒りとは、どれほどのものなのだろう。
憤死にそこまでのインパクトがあったのは、いわゆる医学的な死因とはレイヤーが全く違っていたからだと思う。普通、死因として記録されるのは「脳卒中」「がん」のような疾病である。あるいは「多臓器不全」のような、より直接生命停止の原因を表したものもある。対して憤るということは、死から遠い。憤って→血管が切れて→死ぬ、というふうに順番を踏んで死に至るわけで、そこをスキップしている違和感がある。わからないけど、怒って亡くなるということは、「急性心不全」とか「脳血管破裂」とか、そういう記録になるんじゃないか。普通はそこを切り取らない。だからこそ気になってしまう。
思うにそこには、彼の怒りを忘れまいとする遺族たちの強い意志があったのではないか。これほど屈辱的なことをされたのだから、自らの死を定義することができない本人に代わって後世に語り継ごう。この怒りを、我々一族(一派かもしれないが)は忘れてはいけない。彼の無念を晴らすまでは。そう心に刻むための「憤死」だったのではないかと。本人だけでなく、周囲の者を含めた感情が渦巻くさまを、わずか二文字の「暗記すべき文字列」から感じ取れるから、憤死という概念は強烈で、魅力的だ。
自らの死にそういったコンセプトをつけられたからこそ、フス、ではなくボニファティウス8世は、歴史の記録において「生き生きと死んでいる」ように見える。現代でも似た概念を探しているが、なかなか見つからない。