チズさんを読みました
いわしです。
久しぶりです。
今回は今村夏子さんの「こちらあみ子」の中に収録されている「チズさん」を読んだので本の感想をほざきにかかります。
普段本の感想は「27歳女本話」というラジオをやっていて、そこで話しています。(そちらもぜひ。)
本話は本といわしの両方に興味がないと聞くことができない忍耐ラジオです。
本好きといわし推しを円で書き
重なってる部分のあの層です。
柿の種よりちょい小さいです。
今村夏子さんは「あひる」しか読んだことがなかったのですが、
映画「花束みたいな恋をした」を観ましてその映画に出てくる
「ピクニック」を読んでみたいと思っていました。
本棚整理のときに手放す本をインスタストーリーに上げて募ったとこ
先輩のあずき坊主さんが「コンビニ人間」が欲しいとおっしゃったのでお渡しし、
代わりに「こちらあみ子」を下さいました。
「コンビニ人間」と「こちらあみ子」を
NSC時代のアシスタントの兄さんと交換するとは思ってもいませんでした。
人生何があるかわからないというシリーズ小話編に留めておきます。
「チズさん」はかなりの短編小説でした。
あらすじとしては
チズさんというおばあさんの元に、たまに遊びに行く「私」の話です。
チズさんと一緒に昼寝をしたりケーキを食べたりしている「私」ですが、チズさんの家族が現れてから話の雲行きが怪しくなります。
今村夏子さんの物語は
物事の全体をまんべんなく説明して全体像を理解させるのではなく
ある1人の視点からの説明のみで物語の全体像がわかります。
私はいつも
物語の中で出てくる「私」が行っていることを信じながら
ストーリーを予想して読み進めますが
ある時、「あれ?私の想像してた物語と違うぞ?」と気付くときがあるのです。
その感覚がめちゃくちゃ気持ちよく、大好きです。
「チズさん」はその中でも視点からの情報が少なく全体像を想像に人それぞれのバリエーションが生まれそうだ!と思いました。
色々な人の考えが知れそうで
読んだ人間全員で考察発表会したいなと思いました。
この「チズさん」を読んだとき
最初は「私」が何者かからチズさんを守っている、もしくは守らなくてもいいのに
「私」の自我を保つために守っているのかなと思っていました。
だいぶアバウトですが。
私がどこからワクワクしだしたかと言いますと
家族が来て、仲睦まじく話しているところです。
今まで「私」からの情報しか知らなかったですが
「家族」の情報が入ってきて
「私」が話しているストーリーはかなり偏ったストーリーだと気が付きます。
最後のチズさんのせっかく立ち上がれたシーンで「私」が「チズさん」に「動かないで」と伝えたシーンからの推測ですが、
「私」の存在価値は「チズさん」に必要とされることだったのかなと思います。
しかも
本当は「チズさん」にはちゃんと家族もいるし、「私」の存在が必要ないこともわかっていて
でも何処かでそれを期待しているような揺れ動く感情が
立ち上がったシーンで確信に変わってしまったんだなぁと思いました。
なんかこの「私」の気持ちを考えると
胸が苦しくなりました。
どうにか自分を大切にして
上手く生きてほしいなぁと思います。
とはいえ、全て私の解釈上のお話なので本当のことは誰もわかりません。
今村さんの物語を読んでいつも学ぶのは
本当のことや他人の気持ちってどうしたってわからなくて
自分の想像した他人の気持ちは
自分の経験から産まれているだけなんだなって思います。
本当なのかは本人しかわからないんだなって思います。
さらに最近「夫のちんぽが入らない」も読んだので
他人のことってその人にしかわからないんだなって
念押しして強く思っております。
でも他人本当の気持ちは本人にしかわからないということをわかった上で
他人の気持ちをわかろうとすれば思いやりですが
そのことをわからずに
他人のことを考えると、他人の気持ちを決めつけになってしまうんだな〜と思いました。
すんげえ良いことに気がつけてウキウキしております。
みなさんのお話も是非聞かせてください!
また本話でも話しますのでそちらも是非です〜
ありがとうございました。