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人間すぎる

 ついに情ロ(駆け抜けろ情熱ロード)の著者、さすらいラビー中田さんと、ライブという媒体を用いて強制的に、喋り抜け情熱おしゃべりロードを歩むことができた。普段我々は、ライブ会場でお会いしてもあまり話す機会はないのにも関わらず、お互いのnoteを通じてお互いの思いを書き殴って伝え合っていたので(中田さんがこのことを交換日記と素晴らしい表現をしていてやられた畜生いつか倒すと思っている)お互いのお笑いへの向き合い方、苦悩、葛藤などがわかっているところからトークが開始されたのが、すんごい心地よかった。こういうときでも「ととのう」んだなと思った。

 昨日LOFT HEAVENさんで行われた、「アクウカライド」でいわしが喋りたい人として、中田さんをお呼びして情お(喋り抜け情熱おしゃべりロード)をした。いろんなことを話したが、特に、「いわしが人間すぎる」ということを熱弁してくださっていた。(もっかい聞き直したらそんなこと言ってなかった。私が思っていただけだった。)実際には、社会人して、鬱屈した気持ちをお笑いにぶつけて、お笑いで葛藤して、決勝に出て、ボロボロに負けて、こんなドラマな人いますか?と言ってくれたていた。NHKの深夜ドラマみたいな。でもその時に、要するに私は人間すぎるんだろうな〜と思った。すごい葛藤するし。あんまりどうでもいいや〜とはならない性格である。
 しかもファンの方々が我々が思っていたことを代弁してくれたと感動なさっていたのが、みんなと一緒に自分のことを俯瞰で見て、あーだこーだ言うているような感覚になって不思議だった。自分が「人間すぎる」という点は自分にとっての欠点であると思っていたので、それを褒めてくださったのがとてもびっくりした。

 もちろん、社会人してとか、お笑いやってとか、ライフイベントとしてももしかしたら少しのドラマ感はあり、人間感はあるかもしれないが、多分、もっと奥底にある私の「人間の生き様」の感じを汲み取ってくれたと思っている。というか思いたい。これからも「いわしを読む」と言ってくれた。その後は省略する。
 今までの人生で、人間すぎるが故、「熱い想い」とか「やる気」とか「ガッツ」とかでトラブルも多かった。よく揉める。最低最悪である。良くも悪くも私は人間すぎるので、許せないことは許せないし、楽しいことは楽しいのである、すぐ熱くなるし泣く。
 いやでも、これはでもただただ柔軟性がないからかもしれない。人間すぎるんじゃないよ、人の意見を受け入れる柔軟性がないんだよ。

アクウカライドで話したこと
●いわし×中田
お互いのnoteの感想
お笑いをSNSで語られることって嫌?
芸人って苦労を見せないけどみんな悩んでるよね
深い話にあんまり意見がない
いわしが人間すぎる

ちなみに・・・
●にぼし×忽那
・何歳まで生きたいですか?
・助詞の勉強会

である。私は「女蓮見」らしい。私の中にある「蓮見」は「怒る」だけのことを指すのだろうが、それにしても光栄すぎる。

是非ご覧ください。


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