OMMC姉貴と迷惑な陽キャの諸相

「陰キャ」が思うほど、「陽キャ」は均質な集団ではないかもしれない。空気読みが上手く、適応力があり、リーダーシップがある。なおかつ衆愚で、無謀かもしれない。

「陽キャ/陰キャ」の二元論

今や完全に世間に浸透した「陽キャ/陰キャ」概念。ナンセンスな二元論と切って捨てることは容易で、かつて「根明/根暗」という非常に似通ったバイナリを振りかざした暴力的「笑い」を思えば、慎重に扱う必要があることが明白なモノだ。

しかし、一方で納得してしまう二分法でもあって、だから浸透しているのだろう。筆者は自身をどちらかに振分けるか聞かれれば、言い淀んだ末に陰キャを選ぶ(こんなことを論じようとしている時点で……)。

そもそも、「陽キャ/陰キャ」はどちらの側が作り出した語なのだろうか。普通この概念を持ち出されて不利になるのは陰キャだから、陽キャ側が陰気な奴らをひとまとめにした表現とその対だと考えられるが、実際に気にしたりわざわざ言及したりするのは陰キャの方が多いようにも思う。迫害を受けている(と認識している者が多い)側なのだから、話題に出すのは至極当然なのだが。

均質な集団という幻想

明確な定義がない曖昧なカテゴライズだから、多くの人に当てはまらない感覚もあるかもしれないと断っておくが、「陰キャ」にとって「陽キャ」は、良くも悪くも「なぜそんなことが出来るのか」という対象であると思う(逆に、「陽キャ」にとっての「陰キャ」も「なぜそんなことができないのか/なぜそんなことをしてしまうのか」の対象だろう)。

そして、陰キャから見た陽キャは、かなり均質な集団だと捉えられていると思う(筆者は恐らく陽キャ側の立場に立ったことがないために外部視点からの陰キャ集団全体への印象をこれほどは語り得ない)。なぜかと言えば、孤立した行動をとる者は、普通「陽キャ」にはカテゴライズされないからだ。基本的に集団行動に合わせなかった/合わせられなかった者たちがいわゆる「陰キャ」ポジションにあることが普通だから、その逆として集団行動を取れる人間は「陽キャ」に振り分けられるはずである。

だから、陽キャは均質な性質をもつ似通った集団と考えられる。気の合う連中のグループとして映る。恐らく「陰キャ」の一員の筆者としては、「陽キャ」との対比で陰キャたちは同様の反応や対応を行うものの、個々の陰キャたちはかなりそれぞれの方向に勝手に暴走しているように見える。陰キャ同士が集まっているように見えるのは被迫害意識からの防衛措置で、傷の舐め合いでしかない。実情、弱い立場にいる個体同士が正の循環を生み出すことは難しいから、本質的に利他的になる余裕はない。

筆者も、「陽キャ」については、陰陽中間的な人間は多数あれど、集団で騒ぎ立てるような所謂迷惑なタイプの「陽キャ」はかなり均質でつまらぬ集団だと思っていた。
しかし、飲み会の動画が流出して「ネットのおもちゃ」としてデジタルタトゥーを刻みつけてしまった「OMMC姉貴」の動画を久々に見たとき、「陽キャ」集団の諸相を垣間見た気がした。

OMMC

何が元動画なのか今となっては分からないが、上の動画は恐らくプレーンな状態のものだと思われる。

「イッキ」コールから始まり、「OMMC姉貴」と呼ばれる画面左側の女性が下品な言葉を合いの手に入れる。コールの対象「ゆかり」はジョッキの酒を飲みきれず、画面右側撮影者の隣に座る男性の「ゆかり飲んでなくない?」に場の人間が「wow wow」と合わせる。
そしてその流れをぶち破って、OMMC姉貴がその名前の由来となる下ネタ100%のコールとも呼べない呪文を唱え始める。真ん中に座る女性はそれを諌めようとするが、流されてしまう。今度は右の男性が新たなる下劣コールを始める。

端的に言えば地獄の光景だが、動画のコメント欄にも散見されるように、それぞれの人物にキャラクターの違いがある。

まず、コールの発端となるのはOMMC姉貴か右側の男性しかいない。特にOMMC姉貴は完全に流れを断ち切った下ネタぶち込みが目立ち、男性は基本的に流れに沿った内容しか言い出さない。

「ゆかり」はイッキを強要されている側だが、「wow wow」に合わせたりしている。上の二人ほどではないが、この最悪なノリに違和感を覚えているように見えない。

真ん中のメガネの女性はOMMC姉貴の大声下ネタコールに若干引いているものの、止められるほど力を持っていないようだ。

画面内にいない撮影者は恐らく男性だが、彼もまたノリに合わせてOMMC姉貴や右側の男性にカメラを合わせており、流れに身を任せている。

全体的にイッキコールに参加していて、手拍子も三人以上のものに聞こえる。

「陽キャ」内面の推測

彼らは恐らく、一度できた流れに容易には抗えないのだ。
しかし、唯一それを行っている者がいる。この場合、OMMC姉貴である。イッキコールの流れを無理やり断ち切って下ネタコールをぶち込むのは尋常ならざるメンタルを感じさせもするが、彼女は特段思い切ったわけではないだろう。

信頼、あるいは侮りかもしれないが、とにかくOMMC姉貴の合いの手やコールは、周りがそれに続くことを全く信じていて、周りがそれを批判しないことを全く疑っていない。
意識的なものではないかもしれないが、その無配慮さが養成される環境というのは、つまり今言ったような連中が周りにいるということになる。

さて、それに続く者たちは「空気の読める」人間なのだろう。そして、OMMC姉貴のように新しい流れを切り開く度胸も周りへの信頼もない。衆愚と言えば衆愚である。自身の集団内での立場に固執しているのかもしれない。

このように騒ぎ立てる迷惑な「陽キャ」集団は、無配慮で無謀なリーダーと、流れに反抗する力や良識を持たないがために信頼される適応力を見せる衆愚の組み合わせが、それ自身を成り立たせているのではないだろうか。

遠くから眺めていた均質な印象が実状だったならば、四方八方に行動が散ってまとまりの無い集団になってしまうか、誰一人自分がからはなにも言い出せない弱いタイプの「陰キャ」集団の亜種とでも呼ぶべきものになるだろう。

無配慮と過剰な配慮の上に周囲を顧みない明け透け過ぎる集団が生まれる。団結した集団は敵に回すと危険だから 、正しい正しくないに関わらず、社会の中で一定の地位を占めてしまう。

散々「陽キャ/陰キャ」概念を使用してきてしまったが、今一度この二元論を使用してしまっていいのか、問い直すべきだろう。今述べたような論調で、OMMC姉貴のような迷惑で目立つ人達は明らかに「陽キャ」に分類されるが、陽キャの自覚がありながらも、こんなことしない、一緒にしてくれるなと思っている人はいるだろう。だが、この二元論が普及してしまった今、片一方からの一面的な評価を妥当なものに覆すのは難しい。

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