無言の宇宙に飛び込んだ
僕は、いつもの様に好きな人(愛する人)と見つめ合っていると
不意にこの状況がどこか不思議に思います。
そしてあるひとつの考えが浮かんできます。
それはこの状況が、
“ありとあらゆる偶然が今、重なった”
もので
“少なくとも理屈でどうこう説明できるものではない”
というものです。
人間は、思考と決断を繰り返しています。
それは年月を重ねる度に膨大な量となり、
加えて今の自分の存在も他人の思考と決断の元に成り立つのと同時に、自分も他者に対して同様な影響を与えているのです。
こうして連綿と絡み合った思考と決断の末、
2人が出会った事実はどうしても偶然だとしかいえない
と、僕は考えたくなったのでしょう。
しかし、僕はさらにこう続けます。
この状況は様々な偶然が重なり生まれたものだけれど、
それを奇跡とするのは“もったいない勘違い”だと言っています。
では、一体何が ''もったいない勘違い'' だと言うのでしょうか。
まず“もったいない” というのは、あながち間違ってないということなので、奇跡であると僕は一応認めています。
その上で前述の通り、
2人の出会いが偶然で奇跡でもあると僕は感じている訳ですが
これが行き過ぎた感情であるとも感じているのです。
これだけでは、何がもったいないのか分からないので
このまま続きをみたいと思います。
ここまで悩んでも僕は“なぜだろう” と繰り返し
なぜ見つめ合っているのか、という問いに苦しみます。
そして僕は、最終的にこう結論を出します。
この部分もまとめて後で説明をしたいと思いますが、
ここで初めて“言葉”という単語が登場しました。
僕はその“言葉”に答えを見出したのです。
サビ
ここがこの“無言の宇宙”の中で最も大事な部分となります。
僕は、“大好きなもの、愛しているもの” に対して
どうして大好きなのか?愛しているのか?と考えることを
客観的視点に立ち、ものを見ることだと言います。
そして僕がその視点に立つことで
愛が漏れてしまう=好きではなくなり冷めてしまう
という状態になると言います。
どういうことかというと、
例えば、好きな人物のどこが好きなのか?と問われたとします。
そして、いくつか好きなところをあげられると思います。
確かにそこには嘘も偽りもないと思いますが、
その答えは絶対に本質的な答えではないのです。
何故なら、その特徴をもつ人間は、世界中を見れば何人もいるはずなのに、その全員が好きでは決してありません。好きな人というのはその特徴をもった何人もいる中のたった1人の存在だからです。
だから“理由がない”というのが本当のところでしょう。
強いて挙げるなら、“直感”というのが適切だと思うのです。
そして、あくまでも挙げられた理由は、理由もなく愛して好んでしまった自分を正当化する為に、無理やり作り出した言い訳なのです。
一方理由がないから、好んだり愛したりしてはいけないという
道理もここには全くありません。
だからこそ、直感で“大好きなもの、愛しているもの”が成り立っている以上、いくら理由を考えても無駄なのです。
人は自分や他人の理由のない、本能的な行動に怯えてしまいます。それは、予測不可能で怖いことだからです。
そのため、人がその好きになるという無自覚な行動を自覚すると、自分のその直感を疑わざるを得ないのです。
一旦ここで歌詞の方に戻ります。
そうして、僕は最後にこの事実に気が付き
“僕は君を 理由なく好きだ”と言い切ったのです。
先の後回しにしていた
“もったいない勘違い”と“言葉はいらない”の部分を
考えたいと思います。
言葉はいらないっていうのは“理由”は必要ないっていうことだと思います。
初めて気付いたという所から、僕は今までは好きな理由があって当たり前だという風に考えていたことも読み取れます。
では続いて、“もったいない”というところですが、
ここは奇跡・偶然のような言葉では片付けるのはもったいないという意味で使われていて
(この時の僕には明確に何であるかは分かっていない様子ですが)
直感で好きになった、というピュアな感情を含まれているのではないかな?と思いました。
あくまでも本能的な行動なので、1度出した結論に違和感を感じるのはある意味で当然なのかなと感じました。