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【思考ログ】『普通』が怖い

最近、子供たちと会話をしていると、仕切りに、

『普通。』

という単語が帰ってくる。


『おいしい?』→『普通。』

『面白かった?』→『普通。』

『どうだった?』→『普通。』


普通、普通、普通、普通…


うーん。
なんだ、この違和感は…

…よーく思い出してみると、
自分も言っていた気がする。

小学校の中〜高学年の頃。

いや、何ならもっと反抗的で酷かった気も…


不安定ながらも自我を確立しようと足掻いているお年頃、親との会話を面倒くさく感じるのも仕方ない。


しかし、
自分が親となってこの単語を言われてしまうと、

『普通。』ってナニよ⁇

と突っ込みたくなる。


いえ、子供の反抗期が、とか、子供が怪訝な態度を取って来るのが嫌な訳じゃないんです。
(ホントは少し寂しくて嫌です笑)


子供たちが、本気で

『普通。』

という価値観を自分の中で確立し、

『普通。』に収まってればイイんだ。

という思考を持つことが、なによりも怖い。


確かに『普通。』は悪い事では無い。

当たり障りなく、
学校で目立つこともない。

SNSで親同士が特定の子、特定の先生を名指しで誹謗中傷する事態が散見される時代。
※実際、親同士のグループLINEを控えるよう依頼する学校法人もあるようです。

現代の学校生活においては、『普通。』であることが、自分を守るために何よりも必要なコトなのかもしれない。


でも、

でもね、

やっぱりなんか違うと思う。


標的になるのが怖いから『普通。』で居るの⁇


学校という人生のほんの一瞬のために、
『普通。』という檻の中に閉じこもってしまうの⁇


自分自身が『普通。』で居ることだけを意識して生きて来た人間であるがゆえかもしれない。


僕の心の奥底向かって静かに聞いてみる。

『普通。』は楽しかったですか⁇

『普通。』で居ることが一番大切でしたか⁇


答えは、なんの濁りも迷いもなく、
『NO』。

『普通。』は怖い。
『普通。』は自分を偽ること。
『普通。』で居ることだけでは幸せにはなれないよ。


そうとくれば、
子供たちに伝えなければ。


『普通じゃなくてもいい。』

『キミたちが理不尽な事で虐められたら、お父さんは全力でキミたちを守る。』

『自分らしく居ることが一番楽しいんだよ。』



なーんて、反抗期の子達にどこまで伝わるかな(笑)


とりあえず、思い立ったが吉日!!
今晩、寝る前にお話ししてみます( ̄^ ̄)ゞ(笑)

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