自分の限界なんて、すぐそこにある。
こんばんは。
_____にまつわるエトセトラ 共同代表の三宅です。
今日は、ここ数日でなんとなく考えていた“自分の限界”というテーマ。
相変わらずの随筆スタイルですが、良ければお付き合いください。
そもそも限界って。
まずは限界について、改めて理解してみる。
Google先生によると、限界とは(それを越えられない)ぎりぎりの限り・境・仕切り。とのこと。
つまり自分の限界とは、自分ではそれを越えられない、ぎりぎりの限りということでしょう。そして今回お話ししたい内容に合わせるならば、いまの自分では越えられないぎりぎりのところ。
ではみなさんは自分の限界を感じたことはあるでしょうか。
マラソンで、自分の体力の限界を知る。
何かの大会で、自分の能力の限界を知る。
はたまた好きな人への告白で、自分の魅力の限界を知る。
いろんな場合がきっとあると思います。
僕自身も、いままでいろんなスポーツをしてきたので、自分よりも才能のある人や努力を重ねてきた人に出会ったりその時の全力を出したつもりでも届かない結果があったりと、自分の限界に向き合う事は多々ありました。
そしてそのたびに悔しさを味わい、いまの自分を越えようとしてきました。
そうすることで成長し、今の自分があると思っています。
限界は誰が決めるか
先日の記事でも少し書きましたが、高校の授業に関わる仕事にも取り組んでいます。
そこではまさに成長期である高校生たちが、自分たちの限界を決めてしまい、あるいは大人たちの言葉により限界だと思ってしまい抜け出せなくなっている姿を見ることがあります。
“自分の限界を知る“ということは悪いことではなく、むしろいいことだと考えます。つまり自分にとってわからないこと・できないことを判断する。それはその先の成長への第一歩だと思うのです。
誰かに決めつけられるものではないはずです。
さらに大切なのはそこから先にたどり着くことができるかどうか。そして正しい努力をすることができるかどうか。
わからないことがわからないようになる。
できないことができるようになる。
それこそが成長であり、自分の限界を越えていくこと。
でも、本当の限界はいつかやってくるものだとも思います。
どうしても自分では越えることのできないこと。
自分だけでは限界の先へとたどり着けないこと。
でもそれもきっとよくある話で、そんなときは何も自分だけで越えていく必要はないのです。自分にできないことを他の人に助けてもらう。わからないことを教えてもらう。そうやって補い合うことで限界を越えていくことができる。
こんなことはいまさら僕が言うようなことでもないのですが、何千年も昔から人類がやってきたことのはずです。
だからこそこれからの時代も、本当の意味でいろんな人と協力し合うことのできるように、教育の分野でも、自分たちの事業でも、個人の限界と向き合いながら人との関わりを大切にしていきたいと考えます。
_____にまつわるエトセトラの活動も、僕たちだけで成り立つものではありません。だからこそ、いろんな方々と限界を越えていくことを楽しみたいのです。
そしてそれが皆さんにとっても楽しい場となることを願いながら仕組みを整えてゆきます。
限界は越えていくためにまず知るもの。
そのためにも、まずは限界まで突き進みます。
今日も最後までお付き合いいただきありがとうございます。
クラウドファンディングも終了まで残り10日。
あと少し、ご協力ください。
ーCreditー
文章・写真 / 三宅康太
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?