『AIDで生まれるということ』から10年
私が精子提供に関して勉強を始めたのは約8年前、2016年頃になります。はじまりは緩やかで、いくつかのことが重なって、ですので、それほどシンプルでもないのですが、大きなきっかけのひとつが『AIDで生まれるということ 精子提供で生まれた子どもたちの声』(非配偶者間人工授精で生まれた人の自助グループ(DOG)/長沖暁子編著、2014年)を読んだことでした。今年は、この本が出版されてからちょうど10年になります。
当時から、“子どもが欲しい”という切なる気持ちはよくわかった(と思っていた)なか、私はこの本に大きな衝撃を受けました。子どもが欲しいと強く願う人々にとって、子宝を授かるための“選択肢”が増えるのであれば、それはただ“いいこと”、つまりAIDは“いいもの”だと思っていましたが、この『AIDで生まれるということ』を読み、そんな単純なことではないのだと、この本によって気が付かされたのです。今思えば、当然のことでとてもお恥ずかしいのですが、“生まれる”“子どもをもつ”がゴールではないこと、子ども側の視点に立ち、物事を考えていくことの重要性を知りました。修士論文はこの本を中心に据えて書きました。このあたりについてはまた後日書いてみます。
※おそらく当事者の声はさまざまで、精子提供で生まれたすべての人が『AIDで生まれるということ』の著者のような思いを抱いているわけではないと思います。ただ、たとえすべてではなくとも、このような思いを抱いている人がいることは事実であると教えてくれる本であるという点、何より、当事者の声があまり出てきていなかった2014年時点で、このように、当事者の声をまとめた本が出版された、そしてそれが社会を少しずつ動かしていったという点で、この本の出版には大きな意義があるのではないかと思っています。
さてAIDが日本に導入されたのは終戦後、初めてのAID児誕生は1949年、それから長らくの間、当事者――ここでは、精子提供で親になった方、精子提供で生まれた方、精子ドナーとします――の心情や実態はヴェールに包まれていました。しかし2000年代に入り、AIDで生まれた方々が、出自を知りたいという思いや、AIDについての意見を発信し始めました。法整備を求める声も出ました。法整備はなかなか進みませんでしたが、当事者の声が新聞や雑誌等に掲載され始めたことで、少しずつ、本当に少しずつ社会に動きが出てきました。そのなかで特に社会にインパクトを与えたものが、冒頭に書いた『AIDで生まれるということ』ではないかと思います。
2014年から数年間は、医者でも研究者でもない当時の私のような人が精子提供当事者の思いを知るすべは多くはなく、『AIDで生まれるということ』がほぼすべてといってもいい状況だったかなと思います。精子提供に関する当事者団体も、DOG(DI Offsprings Group)とすまいる親の会だけだったのではないかと思います。
あれから10年、今では、当事者からの発信がかなり増えています。精子提供で生まれた子どもだけでなく、親御さんも、X(旧twitter)やnote、ブログ、その他各種メディア上で発信をされるようになりました。当事者団体も増えてきました。多様化する社会のなかで、精子提供への社会のまなざしも変わってきています。法や日本産科婦人科学会にも動きが出てきています。
ご関心をお持ちの方は、ぜひ、さまざまな方のさまざまな意見に耳を傾けていただけるといいのかなと思います。