製作なんて、狂ってなきゃやってられるか。
何か物を作る行為程、時間と労力の掛るめんどくさい作業を私は知らない。
画像は最近製作したとある漫画の衣装の一部で、世間で言うなら所詮はコスプレ衣装と言われる類のものだ。
漫画や小説、もしくはアニメに出てくる洋服を本気で作ろうとすると、大抵良い反応は帰ってこない。そこに何があると言うのか…、まぁ、言いたい事は解らなくもない。良い反応が返ってくる時は、大抵その作品が好きな同じオタクの場合のみだ。
画像は模様部分の赤い色味をどれを使用しようか悩んだので、手持ちの布三種から試作を作り並べた所だ。こうやって、毎度可能な限り試作を試して、どれが一番しっくりくるか一つ一つ気になる所は全て試してから本番の製作を始めるので時間も掛る。
結局、製作には一番左端の鮮やかな朱色のものを採用した。
出来上がれば同じ趣味やジャンルの同志に「凄い」と言って貰えることもあるが、それすら機会で言えば多くは無いのでしょっちゅう製作中に我に返って「何でこんな事やってんだろうなぁ」と思わず作業の手を止めて空虚を見つける事が多い。それでも作るのは、それが仕事ではなく純粋に好きで作りたいからだ。
仕上がれば喜びと満足だけですむかと言えばそうでもなく、「ここが少々気に入らない」「この部分はもっと上手く仕上げられたかも」なんて、目につくのは欠点ばかりで作り直しを検討する事の方が多い。
仕事ならば色々と事情も違うだろうが、それが趣味の域のものなので上記から作り直すことも可能だ。決定権は自分一人だけだから。
一度製作した物を、数年後に製作し直すこともザラだ。そうやって作り直したものは、一番最初に作ったものの写真と数年後に作り直したものの写真を見比べると断然出来が違う。自分でも知らないうちに、その数年で実力が付いて仕上がりが綺麗になるから。
それでも満足出来るかと言えば、またしょうこりもなく数年後に作り直したり。
好きという感情は厄介だ。自分の中にしかない目に見えない理想を生み出そうと、製作に向かわせる。そこに意味はあるのかと言えばなく、残るのは仕上がった製作物だけ。
それでもその製作物を眺めれば、無意識に口元は笑みを浮かべるし、「次に作る機会があれば、次回はここをこうしよう」と夢見る。
掛けるお金すらも回を重ねる事に出費が高くなる。報酬を貰えるわけでも無いのに。それでも、止められない。
製作なんて気が狂ってなきゃやってられるか。正気に戻る時もあるけれど、狂ったまんまで丁度いい気もする。