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片付けをしていると、過去とぶち当たる。

親の代わりに片付けを初めて、早数年。

荒れ地と化した生家と、今家族で住んでいる家は親の持ち家なのだが、変化がないと人間何処までも「いつか」という言葉の他力本願さに慣れてしまうのだな、と思う。

片付けをしていると、過去とぶち当たる。

それは盛大な威力と共に、ぶん殴ってくるのだ。

懐かしく感じる時もあれば、腹立たしく感じたり、親しかったあの子を発見して微笑ましかったり、無性にやるせなくなったりして、一言では言い表せない涙を流すときもある。

もう会えない、親交も途絶えた当時親しかった友達や、名前も顔も覚えていないクラスメイトや、当時の自分の青臭さや学生故の無知さなんかに「あーッ!!」と叫んでジタバタしたくなる物を発見する時もある。ただ、しいていうなら私は余り幸せな学生時代を送ってこなかったタイプの人間なので、嫌悪とやるせなさの方が正直多い。


今は忙しいから、時間がちゃんと取れる時にでも…。

廃品回収は来週だから、一時置きに。

ここだけの破損だから、修理に出せば使えるかも。

そんな、「今度」と「何時か」と「たられば」ばかりで生家はひたすら埋まってた。



生家では、兄弟三人分と両親二人の独身時代、更にはまだその頃生きていた祖母の過去を垣間見る。

兄弟三人分の物は、生まれてから小学校高学年位までのおびただしい写真。プリントや成績表やら、果てには習い事などの教科書やプリント等の膨大な量の紙類が中心だった。

私たちがまだ小さかった頃、学校から配られるプリントは今の小学生達なんかよりも情報満載で、多かった。

個人情報の観点から今では廃止されている所が多い連絡網にはフルネームと家電話が記載されており、誰から誰に連絡して、最後の人は最初の人に「うちまで連絡ありました」と終わった報告をするように、とまで書かれていたり。

学年が変わった最初の年に配られる新クラスの名簿には更にそこに住所や家族構成まで記載されていて、今どきじゃ絶対ないだろう、と逆に関心してしまった。

学年が終わるごとに、薄い藁半紙で数センチにも及ぶ「○ー〇組のあゆみ」みたいな文集を一年ごとに発行していたり。

まだ、パソコンが一般に普及していな年代は、とにかく何かを知らせるにも全て紙、紙、紙、と何でもかんでもプリントで配られた。

うちの父の職業は公務員だった。そのせいか、やはり父の職業関係のプリントもとてつもない量が出てきた。

もう数十年も前の情報だけれど、個人情報の観点や情報漏洩の点で見るとこれを何もせずそのまま燃えるゴミとして出すのはヤバいだろう、という代物も出てきて、少々呆れもしたのだ。

「その都度片付けていれば、今この労力と苦痛は絶対必要なかったのに」


まだ全て片付けきっていない生家だが、紙類だけは全て二年ほど前に終わらせた。

とにかくパッと見ても紙類が多かったのが下見で見てとれたので、私はその為だけに家庭用ではなくオフィス用の一番安い大型シュレッダーを購入していた。最初はやりすぎかな…なんて思っていたが、ひたすらシュレッダーを掛けている時には「もっと高い方のオフィス用シュレッダー買えばよかった!!」とまで思っていたのを、よく覚えている。

それだけ大変だった。

40リットルの燃えるゴミ袋がシュレッダー屑でパンパンに埋まること何十回…。シュレッダーを掛ければ、古い紙と保管状態が保管状態だったので、ひたすら舞い上がる砂埃。ゴーグルと、マスクをしていても、何故か出る咳と目のしょぼしょぼ。とにかく大格闘だった。

市の指定ゴミ袋は、サイズに関係なく10枚綴り。それを確か、5回以上買い足した記憶がある。



生家の片付けをする都度、最初に書いたような感情の波に襲われて、今住んでいる家に沈んで帰ってくる事も多かった。

本当に、その都度片付けたり処分していれば、ここまで過去にぶん殴られる事もなかっただろう。

余り自分たちの事は語らない両親なので、二人の独身時代や亡くなった祖母の面影を見れるのは、少し興味深かったが、襲い掛かってくる過去の方が凄まじくげんなりしている事の方が多かった気がする。


#日記 #親の代わりに片付ける #生前整理 #片付け


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