年齢と共に変わる収納と整理。
販売の世界にはゴールデンライン、もしくはゴールデンゾーンって言葉があります。
これは何かというと、「お客様の見やすいと感じる空間」の事を指します。つまり、お客様の見やすい空間(ゴールデンライン/ゾーン)を利用してそこに主要商品やプッシュup商品を置いて、売り上げが立ちやすいように商品陳列を行う演出方法なんかでよく言われる言葉なんです。
定番商品は、ゴールデンラインに置け!というのは初歩的な方法のひとつで、ここに置いておけばお客様は商品をわざわざ探さずに、迷わずその商品を手に取る、っていう魔法の様な空間とされているんですね。
人間、無意識というのは結構強力で、本人にその気がなくても「なんとなく目についたから」「興味を惹かれたから」で購入に至る事があるんです。
ただし、その時に障害物や前置きの行動が入るとその「なんとなく」が阻害されちゃうんです。元から「どうしてもこの商品じゃなくちゃ駄目で、これを探していた!!」っていう強い目的でもない限りこれは覆りません。
あの商品を手に取りたい…と興味を惹かれたとしても、自分よりも高い棚にその商品が陳列されていたら、人間「取るのめんどくさいからやっぱりやめとこう」となるのが普通なんです。また、下にしゃがんで商品を見るのも「しゃがむ」と「そこに立ち止まる」の二つの動作が追加されるので、実は結構な確率で目を惹かれても取りやめになる事が多いのです。
スーパーの買い物時間帯に寄りますが、立ち止まってそこにしゃがんで商品を見る行為って結構な邪魔になってしまうのもあり基本的に「気になった商品を見る」よりも「誰かの迷惑になるかもしれないし、気になったけどまた今度でいっか」に天秤が動くんです。
そのくらいどれだけ動作を少なく、お客様の無意識を利用して自然な格好で見られる位置に商品を置くか商品陳列は気を配られています。
で、これって収納にも言える事なんです。
同じように収納にもゴールデンゾーンと言われている空間があり、ここによく使う物を収納するのが鉄則とされています。
内容を読んでも収納のゴールデンゾーンと商品陳列のゴールデンライン/ゾーンって全く同じことを書かれているんですね。そう、つまりはこれは人間行動学に基づいた物と言えます。
ただし、このゴールデンゾーン実は子供と大人とシニアで高さや範囲が微妙に変わるんです。
子供は物理的に成長前なので身長が低く、一点集中型なので見える範囲が狭く興味のある物しか見ません。よく部屋の収納でも小さな子供さんが居るお家では、触られて困る物を子供手が届かない上の方に配置しなおすといった事をしているご家庭多いですよね?その位子供と大人では高さが大幅に変わります。
ではシニアはどうなるかと言えば、腰を痛めて背が曲がったり、成年期に比べると身長が低くなる事があり、更には緑内障、白内障などでの視界の狭まり、関節を痛めた事や体力の低下によって目線と同じか目線以上の高さに物を置いてもそれを取ると言った動作が重労働になり危険です。
…これって上で書いたお子さんの特徴と似ていませんか?
老人になると上の空間収納は脚立を運ぶのが重い、億劫、更には脚立に上ろうにも身体機能が若いころよりも落ちて覚束ないので、だったらまだ楽な方の床置き等の下に置く収納に移行していくのです。その床置きだって、今ある収納は全て埋まっていて空きスペースが無いので「取り合えず」のつもりで収納家具の前にまた一つ、更に一つ、と時間と共に置いて増えていくんです。
なので、ある程度年齢を重ねた場合、よくある上の方に設置されている戸棚の収納が封印されがちなんです。何年も開け閉めされずに、その収納の中の物も勿論死蔵品となります。目に入らないから、無かったことになりがちなんです。でも、片付けようとするとその死蔵品の事を急に思い出して捨てるには惜しいと難色を示す…何年も使っていないのに。
親の代わりに片付けを初めて、この「何年も使っていないのに、存在を思い出すと処分を嫌がる」現象はなんでなのかなって私は不思議に思っていたのです。歳を取ると頑固になる、とも言いますし、子供である私にあれこれ言われるのが気にくわいのかな?とか様々なことを思ったのですが、最近になってもしやこれは自分の意思で使用を辞めたわけではないからなのでは?と思うようになりました。
それまで使用していた愛用品だったものが、一旦使用回数が減りだしたので収納して見てたら不要になったわけではないのに実質不用品の様になってしまい本人の認識が追い付いていないのでは?と。
我が家では私がそう思いいたってから、なるべく上の空間に押し込められていた死蔵品は、一つずつ取り出して両親の話を聞くようにしています。
この大皿は新年の親族集まりでちらし寿司を出すのによく使っていた、とか。大型のポッドは家族でキャンプに行く時や遠足の際にお供としてよく私たち子供が使っていた、とか。
一つ一つの死蔵品にまつわる話をじっくり聞いて、懐かしいね、あんなこともあったよね、と話しているうちに最後にこう聞くんです。「じゃあ、今は使う?」って。
話しを聞いた後、最後にこれを聞くと両親はすんなり「いや、もう捨てよう」と毎回言います。
だって、新年の親族での集まりなんて我が家でこの15年近くやっていないし、子供も全員とうに二十歳を過ぎてもういい年した中年です。遠足なんて行きません。昔はよく使っていた揃いの大皿だって、今では家族そろっての食事を取る時間の方が滅多にないのです。一人一人の食べる量も減っているので、活用されるのは小さなサイズのお皿ばかり。思い出話を聞いた後で冷静に今と突き合わせていくと、それが不用品である事に両親自身が気付いてくれます。
人間何時までもこの時が何時までも続くものだと思っているものです、たとえ歳を重ねても「もう自分も30過ぎたのかぁ」と数字で突き付けられていても、中身はそのまま若い頃に培った感性やテンションで継続されていたりします。私だってそうです。
ましてや、親という生き物は子供が目の前に居ると何時まで経っても「親」としてふるまおうとしてくれるんですよね。私も両親の前では何時まで経っても「子供」のような振る舞いや役目を無意識に果たしている時がありますし…。
親として、無理をしたり子供にちょっといい所を見せようとするのは親の性分なんだと思います。
なので、代わりに片付けを行う際には、なるべく慎重に今の親では苦しくないか、この収納は無理なく出来るか、と言った事を見極めて実行する必要があります。年齢と共にしやすい収納や整理の仕方もちょっとずつ代わっていきます。