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私
四姉妹の長女で生まれた。
当時は体も弱かったのだろう。大きな病院で入院したことや頻繁に小児科に通っていたことをなんとなく覚えてる。
保育園に入ると特定の男の子にいじめられるようになった。だいすきな友達が待ってるのに行きたくなかった。集団行動が嫌いだった。なぜか少し話しただけで女の子からも嫉妬された。今思えばつくづく暇な奴らとしか思わないけどずっと残ってる。
小学生になるとまたいじめられた。無口で声も小さくまともにコミュニケーション取れない私を見て馬鹿にし笑い者にしてくるやつだった。二人とも男の子だ。正直同性からのいじめがなかった。地味で端っこにいるような私には害がなかったのだろう。
学校も嫌いでペアになってくださいが嫌いだった。ペアになれないことが恥ずかしいと思った。余ってる、可哀想だと思われるのが嫌だった。
幸い親友が途中で同じクラスになり、少しだけ明るさを取り戻した。
ずっと死にたいと思っていた。
保育園からずっと。
誰も助けてくれない。甘ったれてる、弱々しいあんたが悪いんじゃないの?
両親…特に母は昔から言葉が強かった。父も厳しい人ではあったが、見守りながら接してくれた。
学校を休む選択肢はなかった。にこにこしてる私がみんな好きだって言うから笑ってた。
心の底では死にたいって叫んで笑い合ってた。
精神疾患になったのは20歳を過ぎた頃。
専門学校の先生からの厳しい指導と言葉の数々。勉強が頭に入らなくなり、とうとう実習に行けなかった。周りがたくさん見てる中で叱られ、帰り道に泣くことも多かった。部屋から身を投げようとも考えた。そして、リスカを初めてした。
ぼろぼろの状態でカウンセラーに紹介され不安障害と言われた。
当然学費はとんでもない額だったので実家に戻りすぐ就職した。仕事もつらかった。先輩に怒られ、びくびくしながら働く日々。休むことはできなかった。
2年勤めてまた家を出た。
家を出たかった理由は死ねると思ったから。
ひとりになれば選択肢が無限でようやく楽になると思ったから。
重度の抑うつ状態になってから悲惨だった。毎日酒を片手に薬を飲んだ。
自傷やODもした。簡単には死ねないことは知っていた。
ADHDは簡易的な検査を勧められ正式には診断ついていない。
薬は飲んでいる。おまけにAPD(聴覚情報処理障害)と今年診断された。腑に落ちた。聞き取れなかったことが昔からよくあり、聞こえたふりをすることも多かった。メモも電話も難しい。
人生で大きな出来事は数年前に起こった。
そこで複雑性PTSDと診断された。
どん底を知ってるから今はなにが起きても驚かない自信がある。今も服薬と通院は欠かさず、訪問看護も入れている。
障害者雇用で仕事が決まってもうすぐ三か月になる。
何も期待しない。私の暮らしは変わらない。
それでも現在いい方向には進んでいるのかもしれない。
ザッとこんな感じだが、細かく書くと色々ある。ほんとに色んな経験をし、人の怖さを知った。
よきパートナーと主治医、友人、両親(特に母とは色々あったが今は落ち着いている)に恵まれている。
根底にある死にたいは変わらずある。たぶんこの先もずっと。