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「まじめないい子」がほめ言葉に聞こえなかった子供時代
「まじめだね」「いい子だね」
褒められると言えば圧倒的にこの2つが多かった子供時代。
褒めてるのは分かるけど、別にすごくうれしいわけでもなかった。
勉強ができるとか、足が速いとか、ピアノがうまいとか、褒められるポイントはいろいろあるが、私は圧倒的「まじめさ」が最大の褒められポイントだった。
たぶん、他に褒めるところがないから「まじめ」という、なんとなくあたりさわりない所を褒めてるんだろうな、くらいに思っていた。(ひねくれた子供だったなと自分でも思う)
大人から「まじめ」といわれる分には、まあ褒めてるんだろうな、くらいの感覚だったけど(嫌な子供…)、子供同士の場合は受け取り方がかなり違って、「まじめ=面白くないやつ」と言われているような気がしてすごく嫌だった。
性格的な資質ではなく、能力を褒めてほしかった。人からすごいと言われたかったのだ。
なんでこんな風に思っていたのか、今でもよく分からない。
まじめさだって誰にでもあるものじゃないし、長所だったと思う。だけど、この時はなぜか嫌で、「人からすごいと言われたい」とかなり本気で思っていた。
いつ頃この感覚が抜けたのか、自分でも全然分からないが、特にすごい人になったわけでもないのに、いつの間にか気にならなくなった。
我がことながら、子供心って複雑だ。