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仮名手本

忠臣蔵ではなく手本としての話
耽溺してそれらしく理屈をつけて誤魔化せば一通りの事は出来てしまう
日本人の悪癖の一つだと私は思っています(自戒です

理屈を漢籍の故事成語に求める癖に『日本の心』などという
大楠公を崇め『葉隠』を礼賛する大戦前後のイデオロギーなどもそうです
私は『葉隠の里』の生まれ育ちですがアノ本は佐賀鍋島藩としては禁書です
当然の話です武士をブラック企業社畜のように扱っている本ですから
曰く『すべての人の為になるは我が仕事と知られざる様に、主君へは陰の奉公が真なり………陰徳を心がけ陽報を存ずまじきなり』
つまりどれだけ邪険に主君に扱われていてもソコでやる手柄を見せぬ報われぬ奉公が最も重要なのだと山本常朝は言い切ってしまう
コレは個人の心がけとしては大変立派ではありますが他人に示す事ではない
彼にかかれば赤穂浪士など「仇討ちするなら主君が処断された時点でやるべきで御家の存続を優先するなら道が断たれ吉良邸に討ち入り首を獲った時点で全員その場で切腹するべきだった見苦しさ」となってしまう苛烈さです

如何に生きていくかの道を私がとやかく言う資格はありませんけれど
あのように報われぬ道を進むなど現代では滑稽だと思います
不器用であっても良いと思われる方もおられるでしょう
しかし我々は『現代』に生きており過去の美徳ばかりではいけない
まず周りが付いてきませんし彼らを労わる事ができない

時を超え今日までの月日を耐えてきた名著は確かに示唆に富んでいます
本邦なら『平家物語』『吾妻鏡』『太平記』などでしょうか
特に『太平記』は漢籍からの引用が膨大にありますけれど

面子と領地が全てであった武士にとって徳川幕府体制のなかでの変質を理解し現代に反面教師としても役立てる事こそ先達への敬意の表し方と思います

手本とは己で見つけ出すものであり特定の他者のみに耽溺するのはとても危険なのです

特に写真撮りにとっては己の表現を追求するのを第一に考えて参考する対象を選び道を見つけなければならないのだと私は思います


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