ハイランド=ロウランド関係史の展開と展望
ハイランド=ロウランド関係史の意義
ハイランドとロウランドの関係がたどってきた流れは、スコットランドの歴史を通貫するテーマだ。
ハイランドとロウランドという地理的な区分は、どのような歴史的経緯によって認識されるようになっていったのか。そこに住んでいた人々や彼らが話す言語の違い、それによる社会や文化の違いはいつ頃から、どのように認識されていったのか。ロウランド人によるハイランド人への敵対的な感情や蔑視の念は、いつ頃どのような歴史的経緯を経て変化してきたのか。
これらは、スコットランドという地域の歴史を考える上で重要な問いだ。
このハイランド=ロウランド関係史は、スコットランドに限らず、より広く歴史や社会の問題を考える上でも意味のあるテーマだ。
民族という概念や「他者」の意識は、歴史上どのような変化を遂げてきたのか。文明と野蛮という古代からの存在するイデオロギーは、各時代・地域においてどのような形で現れたのか。異なる文化や習俗の間での人々の交流は、平和的なものも敵対的なものも含めて、どのようなダイナミズムを生み出して来たのか。
このような問題を探究する上で、スコットランドのハイランド=ロウランド関係史の理解を深めることは、大いに今日的意義のある営みだ。
20世紀の通説
20世紀のスコットランド史の通説では、ハイランド=ロウランド関係史の始まりは14世紀とされた。
12-13世紀を扱う中世中期の研究者からも、14-15世紀の中世後期を扱う研究者からも、ハイランドやロウランドという地理や、ハイランド人やロウランド人という「民族」の区別は、14世紀に入って生まれたものだと見なされてきた [Barrow 2003] [Grant 1984]。
その認識の最初の現れとして頻繁に引用されてきたのが、14世紀末の年代記作家、ジョン・オブ・フォーダンによる『スコット人の年代記 (Chronica Gentis Scotorum)』、その第2巻9章だ。ここで、その文章の前半部分を引用してみよう。
スコット人の習俗は、その言語の違いによって区別される。
というのも、彼らは2つの言語、すなわちスコット語 [lingua Scotica] と チュートン語 [lingua Theutonica] という言語を使っているからだ。
後者の言葉を話す民 [gens] は、沿岸の平野部を所有し、スコット語を話す民は山岳部や外側の島嶼部で暮らしている。
沿岸部の民 [(gens) maritima] は従順で教養があり、誠実で忍耐強く、都市化されている。衣服はこぎれいで、文明化されて平和的であり、信心篤いが、敵からの攻撃に対しては常に抵抗する傾向がある。
だが、島嶼部や山岳部の民 [(gens) insulana sive montana] は野蛮で荒々しく、粗野で扱いにくい。強盗に走り、娯楽にふける。学びは早くて巧みであり、外見は傑出しているが、身なりはみっともない。そして、イングランドの民や言葉に対しては敵愾心をもって常に残酷であるが、言語の違いゆえに、彼ら自身のくにの民 [natio] に対しても同様である。
しかしながら、ちゃんと統制されれば、彼らは誠実で王や王国に対して従順であり、容易に法に従う者たちである。[Skene 1871] [Skene 1872]
この『年代記』で見られる「スコット語 (lingua Scotica)」と「チュートン語 (lingua Theutonica)」という言葉の違い。「山岳部の民 (gens montana)」と「沿岸部の民 (gens maritima)」 という2つの「民」 の区別。これらを近代の歴史家たちは「ゲール語」と「スコットランド英語」の区別、および「ハイランド人」と「ロウランド人」の区分として解釈した。
そして、彼らはこの年代記が書かれた14世紀後半には、その違いが少なくともロウランド社会では、はっきりと意識されるようになっていたと考えてきた。
14世紀の史的解釈
このような民族観の形成に至る歴史系経緯は、14世紀前半から中ごろに求められた。その解釈は以下のとおりだ。
1. 14世紀前半のスコットランド戦争の影響を受けて、カミン家やマクドゥガル家といった地方領主が没落、王国北部やハイランド地域に存在した支配構造が崩壊した。
2. 島嶼部ではマクドナルド家が覇権を握るようになり、中央ハイランドはで軍事化されたゲール系氏族の台頭が見られるようになった。
3. そして既存の支配構造が崩壊した北部地域において、14世紀後半以降マクドナルド家を含むゲール系氏族の進出が見られるようになり、暴力沙汰が頻発するようになった。
4. このようなゲール系氏族による「ハイランドの暴力」が、ロウランド社会からの他者意識や敵愾心を醸成する原因となった。
ハイランド人とロウランド人の気質の違い、とりわけハイランド人を暴力や無秩序と結び付ける認識は上記のフォーダンの『年代記』を端緒として、その後多くの年代記や文学作品で一般的となっていく。例えば、14世紀末に初出する「カタラン (catheran)」というゲール語の軍事集団を指す言葉は、最初は純粋にゲール人の武装集団を表していたものだった。しかし、15世紀前半に入ると徐々にハイランドに対する蔑視や敵がい心のニュアンスを含むようになっていく。
1440年代に書かれたウォルター・バウワーの年代記『スコティクロニコン (Scotichronicon)』においては、このカタランという単語は「野蛮なハイランド人」と同義で用いられるようになっていく [Boardman 1996] [Bower 1987]。
1420年代に書かれたアンドリュー・ウィントンの『原典年代記 (Original Chronicle)』においても、ハイランド人に対する敵がい心は「野蛮で狡猾なハイランド人」という表現などに見て取れる [Wyntoun 1872] [Wyntoun 1903]。その後も、このハイランドに対するロウランド側の侮蔑的な認識は、多くの著述家の言や政府の政策に継承されていき、スコットランド王国内部の経済や社会の格差を生んでいくようになる。
21世紀における展開
しかしながら、21世紀に入ると、14世紀を「ハイランド問題」の端緒とする歴史解釈に疑問が呈されるようになる。
大きな進展は、従来その最初期の証言とみなされてきたフォーダンの『スコット人の年代記』の詳細な分析によって生まれた。ドーヴィット・ブルーン氏は『スコット人の年代記』の系譜やテクストの解析を通じて、従来フォーダンの手になるものと考えられてきた文章の大部分が、今はその著作が失われた、彼以前の人物の手による記述を基にしていることを指摘した [Broun 1999] [Broun 2007b]。
上で引用したフォーダンの『年代記』第2巻9章に書かれている記述についても、ブルーン氏はそれがフォーダンのオリジナルではなく、現存しない13世紀末の年代記、便宜的に「プロト・フォーダン」と名付けられた著作の作者によるものだと主張している [Broun 2007a]。
また、前述のフォーダンの『年代記』に見られるようなイデオロギーの領域における議論と、政治・経済・社会の「実態」に関する議論は混同されるべきではないという批判もなされた [Broun 2007a] [MacGregor 2007]。すなわち、諸年代記に書かれているような言説が「現実」の様相や変化を表しているとは必ずしも自明でない。また、その考え方がすべての「ロウランド人」に共有されてたと考えるのも誤りであると考えられるようになった。
例えば、ブルーン氏が述べるように、1370年代に『ブルース』という詩をものしたジョン・バーバーは、フォーダンに見られるような認識を自身の著作においては表明していない。彼が時の国王ロバート2世の宮廷に伺候し、かつ長年アバディーンの助祭として活動する中で、同じアバディーンの聖職者であったフォーダンとも交流があったに違いないにも関わらずである [Broun 2007a]。
これらの研究の成果を踏まえた際、14-15世紀におけるスコットランドの歴史解釈は再考される必要がある。特に、ハイランドとロウランド、ないしは前者のゲール社会と後者の英語社会を対比ないしはその分断を自明のものとし、その時代に起こったさまざまな紛争や事件を両文化や社会の衝突に還元してしまうことには注意深くあらねばならない。
そのことは一方で、そういった分断や対比が純粋にイデオロギーの世界に閉じていたことを主張するものでもない。言語や風習を異にする人間集団が互いにどのような形で交流し、それが「現実の」政治や社会を動かしていったのか。その中で「現実」と「イデオロギー」はどう相互に作用しあったのか。そのような研究が望まれるだろう。
レファレンス
Barbour, John. 1985. Barbour’s Bruce. Edited by James Stevenson. 3 vols. Edinburgh: Scottish Text Society.
Barrow, Geoffrey. 2003. The Kingdom of the Scots: Government, Church and Society from the Eleventh to the Fourteenth Century. 2nd ed. Ediuburgh: Edinburgh University Press.
Boardman, Steve. 1996. ‘Lordship in the North-East: The Badenoch Stewarts, I. Alexander Stewart, Earl of Buchan, Lord of Badenoch’. Northern Scotland 16: 1–30.
Bower, Walter. 1987-98. Scotichronicon. Edited by Donald Watt. 9 vols. Aberdeen: Aberdeen University Press.
Broun, Dauvit. 1999. ‘A New Look at Gesta Annalia Attributed to John of Fordun’. In Church, Chronicle and Learning in Medieval and Early Renaissance Scotland: Essays Presented to Donald Watt on the Occasion of the Completion of the Publication of Bower’s Scotichronicon, edited by Barbara Crawford, 9–30. Edinburgh: Mercat Press.
———. 2007a. ‘Attitudes of Gall to Gaedhel in Scotland before John of Fordun’. In Mìorun Mòr Nan Gall, ‘The Great Ill-Will of the Lowlander’? Lowland Perceptions of the Highlands, Medieval and Modern, edited by Dauvit Broun and Martin MacGregor, 49–82. Glasgow: Centre for Scottish and Celtic Studies, University of Glasgow.
———. 2007b. Scottish Independence and the Idea of Britain: From the Picts to Alexander III. Edinburgh: Edinburgh University Press.
Grant, Alexander. 1984. Independence and Nationhood: Scotland 1306-1469. Edinburgh: Edinburgh University Press.
MacGregor, Martin. 2007. ‘Gaelic Barbarity and Scottish Identity in the Later Middle Ages’. In Mìorun Mòr Nan Gall, ‘The Great Ill-Will of the Lowlander’? Lowland Perceptions of the Highlands, Medieval and Modern, edited by Dauvit Broun and Martin MacGregor, 7–48. Glasgow: Centre for Scottish and Celtic Studies, University of Glasgow.
Skene, William. 1871. Johannis de Fordun Chronica Gentis Scotorum. Edinburgh.
———, ed. 1872. John of Fordun’s Chronicle of the Scottish Nation. Translated by Felix Skene. Edinburgh.
Wyntoun, Andrew of. 1872-9. The Orygynale Cronykil of Scotland. Edited by David Laing. 3 vols. Edinburgh: Edmonston and Douglas.
———. 1903-14. The Original Chronicle of Andrew of Wyntoun. Edited by Francois Amours. 6 vols. Edinburgh: Scottish Text Society.
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