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SNS

SNSを使い始めてから、SNSとリア友の違いについてよく疑問に思うことがある。

リア友は幼稚小中高大の学校というカテゴリーで出来ることが多い。私は学校という集団の中でアイデンティティを見出しすのがとても苦手だった。明るくしよう、暗くしたら皆に嫌われる等のことを考えていた時代だったので空元気に人と接していた気がする。自己についても血迷っていたので余計である。周りの視線とかが怖かった。

SNSはどの地域の人でも関係を作れて匿名ででき、違う自分が出せる。私はどちらかというとそっち方が向いている。人目を気にせず第2の自分としてのびのびと過ごせる。自分の過去をあまり知らないからできるという点もあるとは思う。自分を自由に表現することが好きであるので、文字に起こすことは苦ではないし、反面それを現実世界でするのには限られた人としか出来ない。本来の自分はSNSにいるような気すらしている。

しかし問題なのは、関係を断ちたいと思ったらすぐに断てることである。それは気軽に関係をつくれることもいえるが、私は裏目に出ることが多い気がしている。

最近、コロナ禍が進行し出会いがない中、マッチングアプリで余暇を過ごすことが多くなった。マッチしてやり取りして繋がりたいと思えばほかのSNSも交換して。でも、私はそこで終わることがほとんどだ。そう、相手と続けるのが限界なのだ。特に人に興味が無い私にとっては。

マッチングアプリではよく実際に会いたいと言う方が多い。人によって理由はいろいろだろうが、私は単なるコミュケーションを交わすところとして場を借りているだけなので、会いたいとはあまり思わない。文面でやり取りをして、そこで良かったなと思ったら電話して、それで満足に感じてしまう。コスパがいいようで良くない。

そこで1つ疑問に思ってしまうことがあって、マッチングアプリの他にSNSを交換してそれ以降関係を持たなかった場合、何のために繋がっているのだろうと思ってしまう点と、関係が薄いままの人とスパッと切れたらいいのにと思ってしまう点だ。インスタならフォロー解除で解散に出来るが、LINEは友だちになってしまうとそのまま残る。いつでも連絡できる利点もあるが、そこに残しておきたくないと思ってしまう自分もいたり、進展がないとSNSでの出会いは気薄に感じてしまって物寂しいさに感じる時もあり難しい。まさに表裏一体な状況である。だからSNS用としてカカオトークを使う人もいることはこういうことなんだと理解出来た。

自分が連絡取りたいなとか会いたいなとか思う人に久々に連絡を送るのにとても躊躇う。私が会いたくても相手はそうでない可能性だって考えられるし、反対も然り。もしくは、自分から行動をしたくないとかその人に興味がある自分が好きじゃないとか面倒は嫌だとかそういうつまらない理由で時間を使っているのかもしれない。謎に意地を張るのをやめて頂きたい。それらで行動出来ていないんだなと、書いていて妙に納得してしまった。

考えていくうちに、SNSは軽くできるものくらいでいいのではないかと思い始めた。軽く取り扱えるからこそ、軽く連絡を取り合うツールに過ぎない。現実には出来ないこと、SNSにしか出来ない利点を採用して使ってみればいい。連絡をするのもきっかけだ。まずは連絡してみよう。

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