なぜ今、「おちんちん」なのか
※本記事は おちんちんAdvent Calendar 2023 に参加しています。
この度は、遅れてしまい大変申し訳ございません…
さて、なぜ今、「おちんちん」なのか。そもそも、おちんちんは男性器ですから、「男の象徴」と言って差し支えないでしょう。でもこの多様化が叫ばれている世の中で、男だの女だの言うのは時代錯誤のように感じてしまいます。
でも、改めて考えると「おちんちん」には不思議な魅力があるのも当然です。大きくなったり、小さくなったり、皮が剥けたり、被ったり、…
身体の部位の中で、こんなにも表情豊かなのは第二の顔と言ってもいいのかもしれません。
そんな魅力的な「おちんちん」ですが、老若男女問わず、そして日本だけでなく海外も、「照れくさいけど、なんか面白い体の部位」という認識は変わらないでしょう。その証拠に、ハンドサインとしておちんちんを比喩している表現があります。中指とか女握り(フィグサイン)とか…
世界中から愛されるおちんちんですが、公共の電波に乗せることはできません。乗せようとしようもんなら、どこからともなくモザイクやそれに準ずる隠すマークが上に乗ってしまいます。漫画でもそうです。黒い線やボッテガのようなモザイクが乗ってしまいます。
私はこれが結局みんなから愛されるのに、おちんちんが「陰部」とされている、影の存在にされてしまっているからなのでは?と時々思うことがあります。
矛盾してますよね!
先ほど述べたように、おちんちんはとても表情豊かで性に対して率直です。興奮状態ではピンと上を向きます。こんな体の部位がなぜ「影の存在」でありましょうか?自らお天道様を貫かんばかりの意思表示、思いっきり「陽キャ」だと思いませんか?
だから、皆さんも今一度考えてほしいと思います。本当に「陰部」とか「陰茎」でいいのか?もっと表に出していったほうがいいのでは?と
なぜ今、「おちんちん」なのか。
それは、「男らしさ」の象徴としているおちんちんが、多様化の波に埋もれて「影の存在」でありつづけたままでいいのか?とおちんちん自ら我々に改めて考える必要がある、そういうタイミングになっていると提起しているのかもしれません。